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追悼ジョージ・フォアマン 生前に取材を重ねたノンフィクション作家が振り返る、モハメド・アリとの絆、闘う牧師としてのリング復帰、隣人への愛 (3ページ目)

  • 林壮一●取材・文・撮影 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

フォアマンが築いた教会フォアマンが築いた教会この記事に関連する写真を見る

 そんな彼に前を向かせたのは1本のテレビコマーシャルだった。第36代アメリカ合衆国大統領、リンドン・ジョンソンが設けた職業訓練校への入隊を呼びかけるNFLスター選手のひと言である。

「キミにもセカンドチャンスがある!」

 16歳のフォアマンは、この言葉に懸けた。親元を離れ、未成年者向けの職業部隊の一員となる。そこでボクシングと出会い、人生を変えるのだ。富を得たフォアマンが心血を注いだのは、布教活動と並んで、かつての自分と同じような境遇にある若者を支えることだった。

 が、会計士の横領や、かつての恋人に訴訟を起こされるなどして、破産寸前に追い込まれる。カネを作るためにと、37歳にしてカムバックを決めた。

「教会とユースセンターを維持するために決めたリング復帰だった。私を望んでいる人のために、闘おうと思った。体はどこも痛んでいなかったし、自信があったよ」

 冷笑する人も少なからずいたが、フォアマンは"闘う牧師"として復帰後に24戦全勝23KOで、1991年4月、42歳にして統一世界ヘビー級王者のイベンダー・ホリフィールドに挑む。判定で敗れたが、28歳のチャンピオンと一歩も引かずに打ち合ったスピリッツは全米中を感動の渦に包み込んだ。

 彼の物語は、そこで終わらなかった。1994年11月5日、45歳のフォアマンは、ホリフィールドを下して新チャンピオンとなったマイケル・モーラーに挑戦。第10ラウンドに右ストレート1発で、26歳のモーラーをキャンバスに這わせ、世界ヘビー級タイトルを奪還する。

 大金星を挙げても、「自分はフルタイムの牧師であって、パンチャーであるのは仮の姿だ」とおどけていた。

【アリの他界に「自分の一部がなくなったように感じた」】

 2016年6月3日、アリが敗血症ショックで永眠した直後に連絡を入れると、「気持ちの整理がつかない」との返事だった。

2018年3月にヒューストンを訪問した私に、フォアマンは言った。

「アリが他界し、自分の一部がなくなったように感じた。時間が過ぎた今は、『彼は自分の身体の中に生きている。アリは私の中にいるんだ』と思うようになった。この瞬間も、そう感じながら生きているよ。

 ただ、当初、私はアリを理解できなかったんだ。アメリカ合衆国は、中学さえまともに通わなかった私に教養を与えてくれ、ボクシングと出会わせてくれた。自分で"切り拓いた"というよりも、国からチャンスをもらった。職業部隊には退役軍人がたくさん勤務していた。学業を教えてくれる先生も、ボクシングのコーチも愛国者ばかりだった。

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