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初代タイガーマスク・佐山聡はアントニオ猪木にイタズラも? 元東スポ記者が普段の「素顔」を明かした (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【人気爆発も「俺にはイギリスが合っている」】

――初代タイガーが活躍していた時期は「タイガーマスクの正体は誰だ?」という議論が起こっていましたね。

柴田:子どもたちが「正体が誰か」と対立していたそうですね。「佐山って言うんだぜ」と得意げに言う子どもがいると、「ウソだ! タイガーは国籍不明なんだ!」と反発に遭うこともあったとか。

――当時、『週刊少年サンデー』で連載されていた『プロレススーパースター列伝』内の記述と、タイガーマスクの過去を記した別のムック本での記述が一致していたので、私は「タイガーマスク=佐山聡」という説を信じていました。

柴田:タイガーマスクが公に素顔を晒したのは、引退した1983年8月の翌月に発売された東スポの紙面でした。さらにテレビでは、1984年1月18日に放送されたテレビ朝日の人気バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』でマスクを脱ぎましたね。

――見ていました。見栄晴さんにスリーパーホールドをしたら「グギッ」とすごい音がしたような(苦笑)。

柴田:大きな反響や惜しむ声があったでしょうが、もともと佐山さんは、マスクマンにはなりたくなかった人ですからね。爆発的な人気が出た一方で、「これは俺じゃない」「(サミー・リーとして活躍していた)イギリスに戻りたい」という思いがあったようです。ある時には、「日本のファンもいいけど、イギリスのファンもよかった」「俺にはイギリスが合っている」とも話していましたね。風土や文化が合っていたこともあるでしょうが、やはりタイガーマスクでいることに違和感があったんじゃないかと思います。

――獣神サンダー・ライガーとしてデビューした山田恵一さんは、イギリス遠征中に消息不明になった、とされて「リバプールの風になった」と発言しましたが、そうはなれなかったんですね。

柴田:そうですね。だから人気が出ても浮かれなかった。いつも冷静だった気がします。もうひとりの佐山聡が、タイガーマスクを俯瞰で見ているような感じでした。そんななかで、ライバルとして小林邦昭さんが出てきた後は試合が楽しかったみたいですよ。

新日本はファンをあまり近づけないようにしていましたね。初代タイガーは、サインもあまり書いていなかった印象があります。ただ、試合が終わってホテルや旅館に行くと、部屋に色紙が山のように積んである。ファンが宿舎に押し寄せるから、「あとでサインをもらってあげるから」と色紙を預かっていました。佐山さんはキチンと一枚一枚、丁寧にサインを書いていましたね。

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