ブル中野がヌンチャクを武器とし男性ホルモンの注射を打ったわけ 人気絶頂の極悪同盟での苦悩も明かす (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【ベビーフェイスからの嫉妬】

――ファンだけではなく、他のレスラーからの嫉妬も多かったと聞きます。

ブル:悪役がテレビで活躍する姿を「面白くない」と思うレスラーも当然いましたからね。あの頃は芸能人の水泳大会に出演することもあり、私は元水泳部だったので、優勝してたくさん賞品をもらいました。でも、私の手元にはほぼ残らないんです。

 先輩に「おまえには必要のない賞品だよな」と言われたら、若手の私は「はい」としか言えませんでした。ダンプさんは、新人の頃に同じような経験をして嫌な思いをしていたので、後輩の賞品を横取りするようなことはしませんでしたね。

――悪役に対する風当たりは、常に強かったのでしょうか?

ブル:それまでも、悪役は池下ユミさんやマミ熊野さん、「ブラック・ペア」や「ブラックデビル」などがいましたが。本当に憎まれるだけ。会社側からも、極悪同盟に対して「おまえら、絶対に人気者になろうなんて思わないでくれ」と言われていました。それが、だんだん悪役のほうに仕事が入るようになって、会社も私たちを優遇するようになったんです。

 一方でベビーフェイスのレスラーたちは、「いつまでもおまえたちは私たちの引き立て役だろう」という雰囲気を出していました。それはずっと変わらなかったですね。だんだん私たちのテレビ露出が増えてきた時には、会社に対して「極悪同盟をテレビに出すな」と直談判するようになったそうです。でも、会社側が「誰が会場に客を呼んでいるんだ。ダンプたち極悪同盟だろ!」と一喝してくれたみたいですけど。

【人気絶頂時に抱いていた危機感】

――ブルさんはダンブさんの引退後に「獄門党」を結成。1990年1月4日、WWWA世界シングル王座決定トーナメントで優勝します。それから約3年間、王座を守り続けましたが、「後輩たちに負けてから辞めよう」と発言していたそうですね。

ブル:その王座は、クラッシュギャルズやダンプさんに勝って得たものではないですからね。ライオネス飛鳥さんが引退し、返上したWWWA世界シングル王座の決定トーナメントで、後輩の西脇充子を倒して獲得したベルトでした。単に「年齢を重ねて、先輩が辞めたからチャンピオンになった人」と見られているのではないか、と自信が持てませんでした。

 先輩がどんどん辞めていき、私がトップになってからお客さんが入らなくたった時が一番つらかったです。私は「お客さんが入らないのはトップ(自分)の責任だ」と勝手に考えていましたし、それを克服するのに苦労しました。

 先輩たちに勝ってトップになれたら、覚悟を持ってベルトを堂々と巻ける。だから自分が辞めるのは、後輩やライバルなどに負けてからにしようと思ったんです。そうしないと、トップを託された選手が自信を持ってリングに上がれないですから。

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