アントニオ猪木のひと言で柴田惣一は「千のネクタイを持つ男」に 棚橋弘至との縁も (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――そんな根回しが......。

柴田:もちろん冗談交じりで、ベストネクタイ賞の選定はしっかり行なったと思いますよ(笑)。

 余談ですが、食事会は中華料理だったんですけど、棚橋はすごく節制していて麺は少なめで注文し、スープは飲まない。点心も食べなかったし、デザートは「柴田さん、食べて」と。本当に気をつけていましたが、「食べたいけど......我慢」と言っていました。ネクタイ組合の方が驚いていていましたよ。レスラーは大食い、大酒飲みのイメージがあったようなので。

――ベストファーザー賞も同時受賞でしたから、ワイドショーでも取り上げられていましたね。

柴田:今はテレビ界もいろいろ大変だけど、なんだかんだ言って、やはり地上波テレビの力は大きいです。プロレスを知らなかった人たちも興味を持ってくれたのではないかと。それでいいお父さんのイメージがついたのか、2018年には『パパはわるものチャンピオン』という映画の主演もやりましたね。

 棚橋は「柴田さんのおかげです」と言ってくれました。しっかり感謝を伝えるところや、人を立てるところがすばらしい。もうみんなが認めているだろうけど、新日本の人気がⅤ字回復したのは棚橋の功績が大きいと思います。人柄というか、人間味もあってのことでしょうね。

――本当にそうですね。

柴田:そんな棚橋との関係も、そもそもは猪木さんのおかげ。あのひと言がなければ派手なネクタイにしなかったし、ネクタイ組合の方々とも知り合いになっていませんから。「プロレスラーはネクタイしないでしょ」という声もあったそうですが、そのイメージは覆せたかな。

 巡り合わせというか、不思議なご縁というか......プロレスはよく「点が線になる」と言われますけど、すべて猪木さんのおかげですよ。

(連載4:長州力から「お前にトップ記事をやるよ」元東スポの柴田惣一が語るレスラーの結婚スクープ裏話>>)

【プロフィール】
柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務めた。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る