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ケンコバが「ハンセンも人の子やったんや」と驚き「ブレーキの壊れたダンプカー」の義理人情 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

――なるほど。

「大歓声を集めるジョニー・スミスに負けまいと、リング上で動き回るダンカン・ジュニア。相手に捕まると、ハンセンが必死にフォローする。いつもなら、例えタッグパートナーが捕まっても無視して、自分だけが大暴れするはず。だけど、この時はそうじゃなかった。

 俺は理由を探った時に『ハンセンも人の子やったんや』と思いました。その背景に、『恩人の息子に恥をかかせるわけにはいけない』という義理人情を感じたからです。それにしても、ハンセンをあそこまで献身的にさせるんですから、ボビー・ダンカンは相当に面倒を見ていたんでしょうね」

【ケンコバ自身も思い出す下積み時代】

――ちなみにケンコバさん自身、同じように芸人の下積み時代の恩義を忘れない先輩はいらっしゃいますか?

「そりゃあいますよ。『この人たちには足を向けて寝られない』っていう人が。それは、リットン調査団というコンビの2人です。

 俺は"クズ芸人時代"、舞台で好き勝手なことやってお客さんから"帰れコール"をされていたことがあるんです。今、考ええるとアホやなと思うんですけど、当時の俺は"帰れコール"を浴びることを楽しんでいたというか、喜んでいた。『帰れ!』って罵詈雑言を浴びても、『あぁ気持ちいい』と悦に浸っていたんです。今思えば、何のプラスにもなってないんですけどね」

――ケンコバさんにも、そんな時代があったんですね。

「当時は心斎橋二丁目劇場というところに出演していたんですが、その劇場をとっくに卒業したリットン調査団の水野透さんが、突然、楽屋の扉をあけて俺のところにツカツカと近寄ってきて。『オイお前、バカやっているらしいな。俺のライブに出ろ。俺は今、バカをかき集めているんだよ』と言ってくれたんですよ。

 あれは俺にとって救いでした。そこからリットン調査団さんのライブに出させていただくようになって、『このままじゃいかんな』と気づかせてくれたんです。水野さんはお笑いに関しては理論派で、必ずライブの打ち上げでは、『あれは今日だから受けたっていうことを忘れんなよ』といったアドバイスもいただいてました」

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