全女の髪切りマッチに震え、高校を中退してプロレスの世界へ。高橋奈七永は闘いの毎日で「強さ」を手にした

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

■『今こそ女子プロレス!』vol.10
高橋奈七永 前編

(vol.9から読む:身長149cmの桃野美桜は「全女」をきっかけにプロレスの道へ。「ピカーーーン!って、プロレスの神様が降りてきた」>>)

 高橋奈七永に初めて連絡したのは、昨年2月のこと。うつ病を告白した高橋が、「うつ病で悩んでいる人がいたら話を聞きます」という趣旨のツイートをした時のことだ。"女子プロレス界の人間国宝"が、一般の人たちに向けてそのようなツイートをしたことに驚いた。

うつ病から復帰した「女子プロレス界の人間国宝」高橋奈七永うつ病から復帰した「女子プロレス界の人間国宝」高橋奈七永この記事に関連する写真を見る 私もうつ病を経験したこと。今も睡眠薬が手放せないこと。再発に怯えていること。ありのままを綴ると、高橋から丁寧な返信がきた。そのなかで、特に印象的だった言葉がある。「病気になる前には戻らないんだなと思う」――。

 寛解(かんかい)しても、元の100%元気な自分にはもう戻れない。それでもうつ病への理解を広める活動をしたいという高橋は、昔とは違う優しさを手に入れたのだと推測する。「気持ちが安定したらインタビューをさせてください」と伝え、その時のやり取りは終わった。

 その後、高橋は4月にGLEATにてプロレス復帰。8月には古巣スターダムでワールド・オブ・スターダム王者の朱里と対戦した。

 高橋がスターダムのリングに上がることに、ファンからは批判の声が相次いだ。「戻ってくんな」「老体はいらない」――批判の域を超えた、誹謗中傷のツイートも少なくなかった。ひどいな、と思った。うつ病だって言っているのに。

「プロレスで起きることは、個人の高橋奈苗(本名)とすぐにはつながらないというか。関与させないようにはなっているので、いくら落ち込んでいようがプロレスのリングは別だと思っている。そういうふうに自分を保ってきたけど、やっぱりどこかで気にしますね」

 高橋奈七永の心はいかにして強くなり、そして壊れてしまったのか。

***

 高橋は1978年、埼玉県川口市に生まれた。家族構成について聞くと、「どう言っていいのか......」と困った顔をする。母ひとり、子ひとり。幼少期に父と暮らした記憶はあるが、小学校に上がる前に父は家を去った。のちに母は「お父さんは家族の元に帰っていった」と話した。

 人見知りで、内気な性格。「あの子と遊びたいな」と思っても、自分からは言い出せない。それでも学級委員長を務め、クラスのだれとでも分け隔てなく仲良くした。

「母子家庭だったからか、子供の頃はしっかりしてましたね。英会話スクールも塾も、自分で通うと決めて。英語の勉強がしたくて、附属の大学に英文科がある中学を選んで受験しました」

 中高一貫の女子校に入学し、バレーボール部に入部。しかし全国大会で優勝するような強豪校で、部員は小学校から推薦で入ってくる人たちばかり。初心者の高橋は端から無理だと諦め、マネージャーを務めた。選手たちをサポートし、全国優勝したい一心で打ち込んだ。

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