全女の髪切りマッチに震え、高校を中退してプロレスの世界へ。高橋奈七永は闘いの毎日で「強さ」を手にした (2ページ目)
【プロレスとの出合いと、強さへの憧れ】
中学2年生のある日、テレビをつけると女性が丸刈りにされていく異様な映像が映った。べつの髪の長い女性が泣きながら止めようとするも、周りの人たちに抑えられ、先の女性の頭は容赦なくバリカンで刈られていく。観念したように目を瞑り、ただひたすらその"儀式"が終わるのを待つ女性は、アナウンサーに「山田敏代」と呼ばれていた。高橋は内から湧き出る興奮を抑えながら、メモ帳にそっとその名前を書いた。
1992年8月、山田敏代と豊田真奈美の敗者髪切りマッチ――。それが高橋とプロレスとの出合いである。
「母親が男子プロレスが好きで、『週刊プロレス』とか専門誌が家に置いてあったんです。それまではプロレスって血だらけの野蛮なイメージしかなかったから、『こんなところに置かないで!』って言ってたんですよ。でも、髪切りマッチを見た日からは雑誌を読み漁って、観戦にも行くようになりました」
団体対抗戦の殺伐としたムードのなか、高橋は全日本女子プロレスの"強さ"に憧れた。特に好きだったのが、堀田祐美子。蹴りのスタイルがカッコよく、売店に行くと優しい。そのギャップの虜になった。中学を卒業したらプロレスラーになろうと思ったが、母に説得されて高校に進学。格闘技の部活がなかったため、せめて腕力をつけようとアーチェリー部に入部した。
高校1年の夏休み、「憧れの職業の人にインタビューをする」という宿題が出た。高橋が全女の事務所に電話を掛けると、堀田は快くインタビューを受けてくれた。そうなると、もう気持ちは止められない。高橋は堀田に「高校を辞めてプロレスラーになりたいです」と思いの丈をぶつけた。すると、後日、高橋が母と一緒に全女の興行を観戦した際、堀田は高橋の母に「プロレスをやらせてあげてください」と頼んでくれた。
プロレス好きの母は「なれるわけないよ、あんな厳しい世界」と言っていたが、高橋が早朝からトレーニングを始めたこともあり、次第に娘を応援するようになる。高橋は母に「プロレスラーになりたい人が行く道場があるよ」と言われ、アニマル浜口ジムの門を叩き、高校を中退した。
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