全女の髪切りマッチに震え、高校を中退してプロレスの世界へ。高橋奈七永は闘いの毎日で「強さ」を手にした (4ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

【「体の会話」こそがプロレス】

 2005年4月17日、全日本女子プロレスは解散。翌年10月1日、高橋は女子プロレス団体「プロレスリングSUN」を旗揚げした。アメージング・コングを筆頭とした対外国人選手を軸にした団体。世界のプロレスと出合ったことで、高橋のなかで大きな変化があった。

「それまで私がやってきたことは、『全女のプロレス』としか言いようがないプロレスだったんですよ。全女は右組手なんですけど、世界共通のプロレスができるように左組手に変えたんです。だけど、9年くらい全女のプロレスをやってきてるから、習得が遅くてトイレで泣いたり。でも、会社から依頼されてコーチを買って出てくれた日高郁人さんが、優しく厳しく教えてくださって、それで火がつきました」

 旗揚げ戦の相手は、アフリカ55。アフリカの選手で、「人を55人殺してきた」というのが名前の由来だ。格闘技の動きをするが、プロレスができるような選手ではなかった。しかしこの試合で、高橋は「これがプロレスだ!」というものを掴めたという。「一流のプロレスラーはホウキとも試合ができる」と言われるが、その域に足を踏み入れたような気がした。

「初めて対戦する選手でも、左組手ができることによって体で会話ができる。全女に対するプライドやリスペクトはあったんですけど、全女の時は会話というよりも"闘い"のほうが強かったというか。『あなたこう来るのね、わたしはこう行くよ』みたいな、レスリングの体の会話。もうちょっと深いところに自分が行けた気がしたんですよね」

(後編:うつ病から復帰→誹謗中傷。それでも「今の女子プロレスはヌルい」と声を上げ続ける理由>>)

【プロフィール】
■高橋奈七永(たかはし・ななえ)

1978年、埼玉県川口市生まれ。プロレスラーを志し、高校を中退。1年間、アニマル浜口ジムに通う。1996年7月14日、全日本女子プロレス後楽園ホール大会にて、対中西百重戦でデビュー。全女解散後、プロレスリングSUNを旗揚げ。2008年4月にフリーに転向し、夏樹☆たいよう、華名(現WWEのASUKA)とともにトリオユニット「パッション・レッド」を結成。2010年、プロレス大賞「女子プロレス大賞」を受賞。2011年1月、スターダム旗揚げに参加。2015年5月に退団し、6月にSEAdLINNNGを旗揚げする。2021年12月、SEAdLINNNG退団を発表。うつ病を患っていることを告白する。2022年4月、GLEATにて復帰し、8月から古巣スターダムのリングに上がる。10月、優宇とのタッグで「ゴッデス・オブ・スターダムタッグリーグに出場し、優勝を果たした。Twitter:@nanaracka

【著者プロフィール】尾崎ムギ子(おざき・むぎこ)
1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。「web Sportiva」「集英社オンライン」などでプロレスの記事を中心に執筆。著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』(イースト・プレス)がある。Twitter:@ozaki_mugiko

■大会情報
高橋奈七永&優宇が、中野たむ&なつぽいが持つゴッデス・オブ・スターダム王座に挑戦!

スターダム両国国技館大会

12月29日(木)17:00試合開始

『JRA中山競馬場 presents STARDOM DREAM QUEENDOM 2022』@東京・両国国技館>>

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る