前田日明とアンドレの「不穏試合」を見たケンコバは、「格闘王」の意外な姿を目にした (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

アンドレとの試合で前田が「やっちゃっていいのか」

――それは戸惑いますね。

「俺は『今さらそんなこと言われても』と思ったし、プロレスラーになるためにいろいろやってきたから後戻りできなくて、親父に『俺はプロレスラーになる』って宣言したんです。そのあと、前田さんが新日本から契約を解除されて、新生UWF(第二次UWF)が設立されてから親父は完全にプロレスから離れました。逆に、俺はさらにのめり込んでいった。UWFが僕と親父の"断絶"を招いたんです」

――確かに藤波さんとの試合もそうでしたが、前田さんはケンコバさんのお父さんが好きだった既存のプロレスを壊すスタイルを貫きました。アントニオ猪木さんも結局、前田さんとシングルマッチは組みませんでしたね。

「猪木さんが対戦しなかったことで、ますます前田日明というレスラーの"幻想"が膨らんでいきましたね」

――藤波さんとの試合がある2カ月前、1986年の4月には、アンドレ・ザ・ジャイアントとの「不穏試合」もありました。

「テレビマッチやのに、放送禁止になってお蔵入りになった試合ですね。でも、どうやったかはよく覚えてないんですけど、たまたま映像を見ることができたんですよ」

――その試合は、いわゆる「セメントマッチ」と言われています。アンドレが前田さんの技をまったく受けず、最後は無効試合になりました。どんなシーンが印象に残っていますか?

「試合中に前田さんが、リング下の星野勘太郎さんに何かを聞いていたところかな。この時、アンドレの様子に戸惑った前田さんは『(アンドレを)やっちゃっていいのか』と聞いたとも言われてますが、当時の俺は『こういう時、前田は星野(勘太郎)さんに聞くんや』と思ったのを覚えてます。何かする時に許可取りがいるんやと。その場面を見て、前田さんと星野さんがケンカをしたという逸話も、どんどん俺の中で現実味を帯びていきました」

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