前田日明とアンドレの「不穏試合」を見たケンコバは、「格闘王」の意外な姿を目にした (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

――星野さんには「ケンカ最強」という説もありましたね。

「ずいぶんあとの2002年に、星野さんが総裁を務める『プロレス結社魔界倶楽部』というヒールユニットが発足した時も、周囲とは違う目で見ていました。当時『魔界』は、総裁の星野さんが『ビッシビシ行くからな!』という決めゼリフが有名になりましたけど、けっこう色物的な扱いをされていて。でも、あの星野さんが総裁ということは、『色物軍団なはずがない』って勝手に自分の中で格を上げてました」

――前田さんは1986年、4月のアンドレ戦、6月の藤波戦、そして10月にキックボクサーのドン・中矢・ニールセンとの試合(1ラウンド3分、10ラウンド制)に勝利して一気にブレイクしました。

「前田vsニールセンは、10.9両国ですね。ニールセンの打撃に押され気味だった前田さんがローキックを中心に巻き返して、5ラウンドには左パンチをもらいながらタックル。アキレス腱固めから逆エビ固めでギブアップを奪った激戦でした。

 その大会は猪木さんのレスラー生活25周年記念大会で、メインで猪木さんがアメリカのプロボクサーのレオン・スピンクスとやりましたが......強烈なインパクトがあったのは、レフェリーを務めたガッツ石松さんが8ラウンドにカウントを取って猪木さんの勝ちにしちゃったこと(笑)。異種格闘技戦ならKOかギブアップのみというルールのはずなのに、『これフォール制やったの?』とビックリしましたよ。

 いまだに、ガッツさんにちゃんとルールを説明したのかは微妙ですね。もしかすると、前田さんとニールセンの試合でお客さんが盛り上がりすぎて、『これ以上やっても意味がない』と猪木さんが判断したのかもしれない。前田vs藤波の試合からは話が逸れましたけど、1986年の前田さんとUWFはそれほどに強烈だったということです」

(連載3:ヒロ斎藤と渕正信の「流血の因縁」で学んだ「男には、ベルトより大事なものがある」>>)

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