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長州力が齋藤彰俊に「ウチでやれ」。ケンコバが絶賛する「控室ドア事件→平成維震軍」へとつながる流れ (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

「小林はつらいやろな」

――初対決から3カ月後。1992年4月30日の両国国技館ですね。試合は、ギブアップかKOのみで決着がつく特別ルールでした。小林さんは進退を、齋藤さんは誠心会館の看板をかけて戦いました。

「この試合、俺は小林さんを直視できませんでした。その試合前の2月に『小林さんの敵討ちだ!』と息巻いていた小原道由さんを齋藤さんが返り討ちにして、新日本に2連勝。ファンの間でも『こいつ、凄いぞ』と人気が出てきていたし、『また小林が負ける姿を見たい』という空気になっていましたから」

――齋藤さんはマスクもよかったですしね。

「本当に凛々しい人で、イケメンでした。憶えているのは、ヤンキーの格好をした高校時代の写真が、格闘技雑誌で発掘されたこと。チャラチャラしていない硬派なヤンキーという感じで、その記事では、同じくプロレスラーになる同級生の松永光弘と『ブイブイいわせてるヤツをやっつける』といった秘話を明かしていた。『相手が何人でも、俺たち2人が揃えば大丈夫』と言っているのが、『ビー・バップ・ハイスクール』のヒロシとトオルみたいでしたよ」

――そうして過去も注目されるほど人気急上昇中の齋藤さんに、今度は小林さんが挑む形となりました。

「人間には、上の立場にいる者が転落していくところが見たい、という意地悪な感情があるじゃないですか。あの試合は、そういうムードが確かにあったんです。だから僕は、小林さんが3カ月前とは違う立場に追い込まれたと感じていて、『小林はつらいやろな』と直視できなかったんです」

――試合は、初戦を上回る大流血戦になりました。

「凄い試合で、俺の心配をよそに小林さんがリベンジを果たした。この時は両国と千葉ポートアリーナ2連戦で、2日目の5月1日には青柳館長と越中(詩郎)さんが対戦。追い込まれていた青柳館長が、越中さんのドラゴンスープレックスで負けて完全決着となりました。それでやっと、煮え切らなかった青柳館長が立場を決めたんです。『誠心会館側につく』と」

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