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ほぼノーギャラ、他選手から嫉妬...。キューティー鈴木「好きで芸能の仕事をしてたんじゃない」 (3ページ目)

  • 堀江ガンツ●取材・文 text by Horie Gantz
  • photo by Shogo Murakami

――風間ルミさんたちは、その会議の前からLLPW旗揚げで動いていたんですかね?

「真相はいまだによくわからないんですよ。私はLLPWに行ったイーグル沢井と同期で新人の頃はすごく仲が良かったので、あとで『ねえ、ホントのこと教えてよ』って聞いたんですけど、『会議の時点では本当に続けるつもりなかったのよ』って、口を割らなかったですね(笑)。

結局、別れ別れになりましたけど、『寂しい』という気持ちはあまりなくて。『これが最後のチャンスだから、やるなら悔いがないように思いっきりやろう』と思ったし、ジャパンでは人任せだったけど、JWPでは『私がこの団体を引っ張って、お客さんを入れよう』と考えるようになったので。プロ意識が芽生えたのはJWPからでしたね。『LLPWにも全女にも絶対に負けたくない』って思っていました」
JWP女子プロレス時代のキューティー鈴木。(写真:平工幸雄/アフロ)JWP女子プロレス時代のキューティー鈴木。(写真:平工幸雄/アフロ)この記事に関連する写真を見る
――93年4月2日、横浜アリーナで全女主催の女子プロレスオールスター戦が開催されて、そこから団体対抗戦ブームになります。対抗戦はやってみていかがでしたか?

「やっぱり『負けたくない』『なめられたくない』っていう気持ちがありましたね。そして、全女の井上京子ちゃんと試合をやったことで、私のプロレスに対する考え方が変わりました。『私はもしかしたら自己満足のプロレスをやっていたのかも』と思わされて。京子ちゃんはお客さんのこともちゃんと考えてるし、マスコミのことまで考えて試合をしていた。『この人、ホントにすごいな』って思えたので、試合で当たれて良かったなって思いました。

あとは全女と対抗戦をやったことで、フジテレビで自分の試合が放送されたので、それも嬉しかったです。私がファンの時代から観ていた番組ですからね。15歳の時の私に『私、プロレスラーになってがんばってるよ!』って教えてあげたいって思いましたね(笑)」

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