【国際プロレス伝】浜口平吾から
「アニマル浜口」へ。ついに野獣誕生 (4ページ目)
「社長は日本プロレスに挑んでいた......違うな。もっと大きいところで、日本のプロレス界を変えようとしていたんじゃないかな。
吉原社長というのは、実に頭のいい人でね。僕なんかでも、話しているだけでそれがわかる。頭脳明晰。ほかの人とは違う発想をされた。社長は国際プロレスを創設して、いろんなことを始めましたよ。
文書で選手と契約するようにしたのも日本のプロレス界初ですし、総当たりリーグ戦でのバッドマーク方式も導入した。リーグ戦なんですけど、負けたり引き分けたりすると最初の持ち点から減点されていって、最後にもっとも多く点数が残った選手が優勝というシステム。これだと消化試合がなくなり、好カードが増える。もともと、アマチュアレスリングにあったやり方です。
日本人のトップ同士が対戦するというのも、そうでしょう。それまでは、力道山先生と大物外国人選手が戦うというのがメインでしたから。
また、会場にBGMを流すとか、選手の入場テーマ曲を決めるとかも初めての試みです。ちなみに、僕のテーマ曲は日野皓正さんの『マタドール』などでした。
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