【プロレス】「男と男の約束をしてくれ」。
元番記者が語る長州力の素顔 (2ページ目)
86年、私は『週刊ファイト』の見習い記者としてこの世界に入った。当時は選手の控室にも気軽に入れて、レスラーたちはみんな気さくに話をしてくれた。しかし、新日本プロレスを離脱し、全日本プロレスのリングに上がっていた長州だけは、近づきがたい空気を発していた。
後に私が「長州番」と呼ばれるようになったきっかけは、87年2月のこと。新日本への復帰が噂されていた長州は全日本の大会を欠場し、雲隠れしていた。伊香保温泉にいるという情報をキャッチし現地で張り込み、温泉から上がりお土産売り場に入っていく浴衣姿の長州を見つけた。
「お前はどこのもんだ?」
「ファイトの者です」
「自分のやっていることがわかっているのか?」
「わかっています。大変失礼なことをしています」
誰から聞いた? なんでわかった? 食らわすぞコラッ!と凄まれた。恐かったけど、レスラーが手を出すことはないと私は思っていた。
ロビーに腰を据え、コーヒーを注文してくれて、1時間ほど話し込むことになった。長州をキャッチした事実を記事にするかどうか、意見がぶつかった。結局、「長州には会えなかった、とデスクに報告する」と私は長州に告げた。
ホテルには私だけではなく、他にも一社マスコミが来ており、翌日も朝8時からホテルに張り込むことになっていた。
「明日、朝9時に電話をくれ。部屋番号教えるから。マスコミがどこで張っているか教えてほしい。俺はホテルの裏口から帰る」
そして、このスクープを胸に秘める見返りとして、ひとつの約束をしてくれた。
「いつか必ずお前の取材を単独で受けるから、男と男の約束をしてくれ」と。
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