【ボクシング】荷物番だった内山高志を変身させた「大学1年の夏」

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro

7月特集 ああ、涙の夏合宿物語(6)

 海でも、花火でも、スイカでもない――。

「夏のイメージは、合宿です」

 WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志は、そう言う。

高校時代や大学時代の苦しかった夏合宿を振り返る内山高志高校時代や大学時代の苦しかった夏合宿を振り返る内山高志 19歳の夏。初めて日本代表候補合宿に呼ばれ、集まったメンバーを見渡すと、内山は怯(ひる)みそうになった。

「各階級のチャンピオンクラスばかり。圧倒されましたね」

 参加者だけではない。その練習量もまた、圧倒的だった。初日の午前中からみっちり3時間のトレーニング。練習後に体重計に乗ると、体重が5キロ落ちていた。午後の練習に備えようとシャワーを浴びたが、筋肉痛で腕が上がらず、頭を洗うことができなかった。

 最もキツかった練習メニューが、バーベルを持ちながらシャドーを行ない30メートル前進、再びシャドーをしながら30メートルをバックする練習だ。それを延々1時間繰り返す。モスキート級からフェザー級までの選手は2キロのバーベルを持ち、内山が属したライト級以上の選手は3キロのバーベルを持った。

 合宿は約3週間。理不尽なまでの猛練習に、日が経つに連れて離脱者が現れた。内山も、「最終日までついていけんのか?」と不安に襲われたが、どうにか耐え抜く。

「キツかったです。ただ、一度でも離脱したら、次回の合宿に呼ばれないと聞いていたんで」

 離脱していったのは、ランキング2位以下の選手がほとんどだった。チャンピオンの選手は、ほぼ離脱しない。

「オリンピックに出たい、国際大会で日本代表になりたい、ということをモチベーションにするんです。自分の階級のチャンピオンを見て、『この合宿を乗り切っても、アイツには勝てないかもしれない』と思ってしまうと、心が折れる。その瞬間、練習に耐えられなくなるんです」

 内山が初めて日本一に輝いたのは、大学4年の時。つまり、まだ何者でもなかった内山は、このサバイバル合宿を、歯を食いしばって生き残った。

1 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る