2015.07.30

【ボクシング】荷物番だった内山高志を変身させた「大学1年の夏」

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro

7月特集 ああ、涙の夏合宿物語(6)

 海でも、花火でも、スイカでもない――。

「夏のイメージは、合宿です」

 WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志は、そう言う。

高校時代や大学時代の苦しかった夏合宿を振り返る内山高志 19歳の夏。初めて日本代表候補合宿に呼ばれ、集まったメンバーを見渡すと、内山は怯(ひる)みそうになった。

「各階級のチャンピオンクラスばかり。圧倒されましたね」

 参加者だけではない。その練習量もまた、圧倒的だった。初日の午前中からみっちり3時間のトレーニング。練習後に体重計に乗ると、体重が5キロ落ちていた。午後の練習に備えようとシャワーを浴びたが、筋肉痛で腕が上がらず、頭を洗うことができなかった。

 最もキツかった練習メニューが、バーベルを持ちながらシャドーを行ない30メートル前進、再びシャドーをしながら30メートルをバックする練習だ。それを延々1時間繰り返す。モスキート級からフェザー級までの選手は2キロのバーベルを持ち、内山が属したライト級以上の選手は3キロのバーベルを持った。

 合宿は約3週間。理不尽なまでの猛練習に、日が経つに連れて離脱者が現れた。内山も、「最終日までついていけんのか?」と不安に襲われたが、どうにか耐え抜く。

「キツかったです。ただ、一度でも離脱したら、次回の合宿に呼ばれないと聞いていたんで」

 離脱していったのは、ランキング2位以下の選手がほとんどだった。チャンピオンの選手は、ほぼ離脱しない。

「オリンピックに出たい、国際大会で日本代表になりたい、ということをモチベーションにするんです。自分の階級のチャンピオンを見て、『この合宿を乗り切っても、アイツには勝てないかもしれない』と思ってしまうと、心が折れる。その瞬間、練習に耐えられなくなるんです」

 内山が初めて日本一に輝いたのは、大学4年の時。つまり、まだ何者でもなかった内山は、このサバイバル合宿を、歯を食いしばって生き残った。