【SVリーグ】今季で引退のドミトリー・ムセルスキーが8年前に来日したワケ「日本のバレーボールの成長の理由が知りたかった」 (4ページ目)
【「自分たちから順応していこうと妻と話していた」】
「日本では本当に多くのことを楽しんでいるけれど、いくつか自分たちには理解できないこともあった。ただしそれは、完全に違う環境と文化のなかで育ってきた私個人の意見なので、それをここで具体的に話したいとは思わない。所詮、それは私の意見にすぎないのだから」
当然、日本での8年間で色んなところに行ったというが、気に入った場所についても、そんなムセルスキーらしい回答が返ってきた。
「本当に多くの場所を訪れたが、ひとつを挙げるのは難しい。すべての場所を楽しんだとだけ言っておくよ。ただ、人気の観光地の人ごみには参ったね。長い列に並ぶのも好きじゃないんだ。
すべての物事と同じように、完璧な国などありえない。良いところもあれば、そうでないところもある。私たちが日本に住み始めた時、こちらが日本の伝統や文化に敬意を払い、ルールを守り、自分たちから順応していこうと妻と話していた」
そんなふうに、ムセルスキーの口からはなかなか固有名詞が出てこない。いわゆる、メディアが喜ぶ受け答えではないかもしれない。でもそのぶん、信用できる人と思えた。ひとつひとつの言葉に真実味がある。
ただし、質問がマンガに及んだ時、ムセルスキーは初めて具体的な名称を挙げるのだった。
(つづく)
第2話を読む >>> ムセルスキーの長い独白「バレーボールが導いてくれたこの旅路は、言葉で言い尽くせないほどすばらしいものだった」
ドミトリー・ムセルスキー Dmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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