【男子バレー】大阪ブルテオンのエバデダン ラリーが初めて口にした決意「日本バレーのミドルの顔になる」 (2ページ目)
【春高バレーに3年連続で出場】
岐阜県海津市、ふたつの川に囲まれた町に生まれたラリーがバレーを始めたのは、小学4年の時だった。3歳上の兄を追いかけてクラブに入ったが、「野球をしていたんですが、日光が苦手で」という程度の動機だった。周りに「とにかく何か、運動競技をやりなさい」と言われ、消去法的に選択した。
「本当は何もやりたくなかったんです」
ラリーはそう言って、あけすけに笑う。ただ、好む好まざるにかかわらず、運動センスは抜群で、最初はうまくなる初期段階を楽しんでいたという。スパイクを打つのにハマった。ただ、レシーブはヘタで成長が鈍化した。率先して始めたスポーツではないため、「バレー選手になりたい」とはつゆほども思わず、勝手に「中学でひと区切り」と考えていた。
しかし、身長は中学1年から10cmずつ伸び、中学3年で190cm近くになった。
「身長が一気に伸びて、中学でJOC(ジュニアオリンピックカップ。各都道府県の選抜チームで争われる全国大会)に呼んでもらいました。そこで『将来の日本代表だな!』ってめちゃめちゃ言われたんですけど......自分はヘタだと思っていたし、自信もなかったので、『なんで、そんなにおだてるの?』って不思議に思っていました」
ラリーは当時をそう振り返ったが、巨躯を自在に動かせるスピードとパワーは同年代で異彩を放っていた。結局は兄と同じく、長野の創造学園高校(現・松本国際高校)に越境入学することになった。
「全然うまくならなくてきつかったし、『高校で終わろう』と思っていましたね。なんで続けたんですかね(笑)」
ラリーはそうとぼけるが、同期のバレー部員との生活は楽しかったという。
「仲間がいたのは大きかったです。高校は寮生活(バレー部の監督が自宅を改築)で、ずっと一緒。みんなで朝食をとって、監督が運転するバスで高校に向かい、掃除をして、授業を受けて、部活をして、同じバスで寮に戻る。外出禁止で携帯電話も回収されていたし、それは仲よくなりますよ(笑)」
月1回のオフ、同期7人と寮の部屋で鍋を囲む時間が楽しかった。みんなでスーパーに行って食材を買う。それだけで特別だった。恋愛禁止だったが、仲よくなった女の子がいると、同期に打ち明けた。青春の1ページだ。
春高バレーには3年連続で出場。3年生の時、準々決勝で優勝候補の洛南高校(京都)と激闘を演じた。最後は力尽きたが、のちに日本代表で"戦友"になる大塚達宣を擁した強豪を相手に一歩も引かなかった。
「周囲に『絶対に勝てない』と思われていたからこそ、勝ちたかったですね。ただ、手応えを感じたし、そこまで悔しくはなかったです。『次につながるな』って」
2 / 4

