【ハイキュー‼×SVリーグ】VC長野の安原大は「ゴミ捨て場の決戦」に「胸熱」 高橋藍がいた日体大で「やる気」が出た理由とは?
VC長野トライデンツ 安原大
(連載43:SAGA久光の荒木彩花は度重なる大ケガから復帰田中龍之介のように逆境を跳ね返す>>)
日本体育大学4年の時、VC長野トライデンツの安原大(23歳)は全日本インカレの3位決定戦で敗れている。大学生活の集大成だった。その日の夜は、何を食べたのか詳細まで覚えている。
「最初にポンってテーブルに出てきたのが、卵かけご飯でした」
安原は記憶を辿るように視線を巡らせて言った。
「試合が終わったあと、監督の行きつけの焼鳥屋さんで卵かけご飯を出してもらったんですよ。いい卵で、そこに醤油をたらして......。結果は負けて満足していなかったですが、その過程は"努力した"と誇れました。その夜は、監督や同級生と、いろいろあった4年間の思い出を話して、試合を振り返ったり......ずっとバレーの話をしていましたね」
そう話す安原の口元に、幸福感が滲んでいた。
味覚は、バレーボールに打ち込んだ日々と結びついている―――。
広島で生まれ育った安原は、周りに導かれるようにバレーを始めた。自分が"バレーをしたい"と思うより先に、そうなる引力の中にいた、という表現のほうが正しいだろうか。
小学校時代、安原はドッジボールのクラブチームに入っていたが、中学ではずっと続けられそうな別の球技をやるかどうかで迷っていたという。年上の従兄弟がやっていたバレーの試合を見に行ったことがあったため、結局はバレーを選択した。初心者レベルの友達も入部し、一緒に過ごす時間が楽しかったという。そんななかで、めきめきと成長していった。
「中学ではJOC(ジュニアオリンピックカップ)のメンバーに選んでもらって、高校も強豪から誘ってもらい、国体で全国も経験しました。でも、高校はインターハイも春高バレーも出ていなかったので、特別進学コースで大学受験を考えていたんです。縁があって日体大に進みましたが、(強豪のため)試合に出始めたのは4年生になってからでした」
安原は朗らかな顔で言った。どっぷりとバレーに漬かったわけではない、ということだろう。ただ、熱くなる瞬間をどこかで探求していた。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。