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【ハイキュー‼×SVリーグ】ヴィクトリーナ姫路の松本愛希穂は試練に直面も「逃げたくない」 田中龍之介のように、下を向いている暇はない (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

 松本は県内で実績を残し、中学は大阪の名門で中高一貫の四天王寺中に"越境入学"している。中学で親元を離れる決断は簡単ではなかったはずだが、即決だったという。

「『練習に来てみないか』と声をかけてもらって、実際に体験したんですが、圧倒されました。うまい人ばかりで、見たことのないプレーも多く、練習の熱気がすごくて"当てられた"というか......。それに感動して、『行きます』と即決しました。ひとりっ子なので、親もいろいろ思ったはずですけど、『(その決断を)尊重するよ』と送り出してくれました」

 バレー選手だった母は、松本と同じサイドの選手だったという。しかし、説教じみたことを言われたことはない。いつも見守ってくれる存在だった。

「バレーがうまくなったね」

 中学時代にもらった言葉は、今も大事に胸にしまっている。

 そして大阪では、松本のバレー人生を動かす"ライバル"もいた。

「同じ高知県出身で、全日本バレーボール小学生大会の県予選の決勝で当たって負けた相手のエースがいて。その子と一緒に、四天王寺中に入ったんです。左利きの、ずっと自分の一歩先を行く子で高く評価されていました。

自分の実力が足りずに、追いつきたくても追いつけない状況が続いていたんですが、高校ではインターハイ、春高バレーでやっと全国に行くことができて。周りの子にも『追いつけたね!』と言ってもらえました。遅咲きだけど、報われたなって」

 その後、松本は東海大に進学。ライバルは関西の大学に進んだが、大学選抜で一緒にコートに立った。その瞬間も感慨深かったという。

「その子と切磋琢磨できたから、成長できたと思っています。スパイカーとして、ずっと自分の上にいてくれたからこそ、自分も同じように点数が取れるまで頑張れました」

 彼女は、ライバルに心から感謝している。乗り越えることで強くなれた。だから、今やるべきことも心得ている。

「自分がやりたいと決めた場所なので、逃げたくはないですね。たとえ誰かに劣っていても、"自分のバレー"というものがあるので。......そうは言うものの、逃げたくなる時もありますけどね(苦笑)。もういい、嫌だなと劣等感を抱くこともあります。でも、監督にも言われるんですが、『その人なりの勝ち方があって、私の勝ち方もある』という思いで日々を過ごしています」

 松本は気丈に言い放ち、凛と背筋を伸ばした。

【松本愛希穂が語る『ハイキュー‼︎』の魅力】

――『ハイキュー‼︎』、作品の魅力とは?

「"熱い"感じの少年漫画はよく読むんですが、『ハイキュー‼』の熱さも大好きです」

――共感、学んだことは?

「(サイドアタッカーの目線で)"決めきる"という描写に目が行きます。その時のメンタル、パッションとかに共感しますね」

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