【ハイキュー‼×SVリーグ】ヴィクトリーナ姫路の伊藤麻緒が思う自分とチームの変化 烏養コーチ、武田先生の「歯車が噛み合ったら」に共感
ヴィクトリーナ姫路 伊藤麻緒
(連載37:ヴィクトリーナ姫路の松本愛希穂は試練に直面も「逃げたくない」 田中龍之介のように、下を向いている暇はない>>)
彼女はよく笑う。幸せな空気を身にまとっている。本人は「"陽キャ"じゃない」と言うが、自然と周りを心地よくする。平和的で、フラットなのだ。
もっとも、勝負への自負心は人一倍強い。
「私のなかでミドルブロッカーは、ブロックの中心じゃないといけない。『相手のミドルを抑えてナンボ』だと思っています。1回、気持ちよく打たれたら『次はやらせない』となりますね」
ミドルの矜持というのか。それが、ヴィクトリーナ姫路の伊藤麻緒(24歳)の"燃料"だ。
伊藤がバレーボールを始めたのは、小学5年と決して早くはない。小学校で仲よくなった友だちの多くがバレーをやっていて、「やろうよ」と誘われた。当時から身長が高かったため、彼女もその気になったが......。
「小4で『やってみたい』となったんですが、姉の習いごとが忙しすぎてこちらまで手が回らず......1年、我慢することになりました」
うずうずとしながら、その瞬間を待ち続けた。
「ようやくバレーをやれることになったんですが、最初は『難しいな』と思いました。ボールがしっかり手に当たらないし、前に飛ばないし、痛い(笑)。体が大きくて、周りには『できそう』って見られていたけどできない。それで、恥ずかしい思いもしましたね」
半年ほど悪戦苦闘したが、気づいたら楽しくなっていた。レシーブから始め、スパイクを打てるようになり、高さも生かせるようになった。
「当時は、身長が大きくて目立つのが嫌だったんです。でも、バックでの守備から始めて、前でスパイクを打てるようになり、身長の生かし方もわかるようになってから変わりましたね」
伊藤はバレーのとりこになった。そして、彼女のそばには必ず仲間がいた。その日々こそ、彼女の原点だ。
「小学校時代の6人の友達が、同じ中学に上がってバレー部に入りました。みんな意欲が高くて、すごく楽しかったんです! ずっと6人がスタメンで、自分は真ん中(ミドル)でした。みんなの結束が強かったから、県内では強かったし、本当に楽しかったですね」
伊藤はそう言って表情を輝かせる。
「高校はバラバラになりましたが、それぞれがバレーを続けていました。対戦することもあって、青春でしたね(笑)。今でも、年に1回は集まってあの頃の話をします。私の原点ですね」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。