【ハイキュー‼×SVリーグ】大阪マーヴェラス志摩美古都を成長させた勝利と敗北 「この人みたいになりたい」『ハイキュー‼』キャラは?
大阪マーヴェラス 志摩美古都
(連載38:ヴィクトリーナ姫路の伊藤麻緒が思う自分とチームの変化 烏養コーチ、武田先生の「歯車が噛み合ったら」に共感>>)
「自分でも(SVリーグの選手になったのは)びっくりしています。学生時代は目立っていたわけではないので。高校でも"影"ではないですけど、対角にガッツのある目立った選手がいて、自分は静かで淡々とプレーしていましたから」
大阪マーヴェラスの志摩美古都(みこと/26歳)は、いたずらっぽく笑った。ただ、偶然でトップリーグの選手になれない。彼女は必然で、その立場を手にしているはずだ。
彼女の必然はどこにあったのか?
長野県佐久市に生まれた志摩は、小学1年でバレーを始めた。仲良しの友だちから「バレーをやろう」と誘われ、体験後に入部した。そのあたりの記憶は曖昧だという。
「すごく軽い気持ちだったと思います」
志摩は人懐こさと艶が滲む笑顔で明かす。
「それほど強いチームではなくて、人によっては"遊びの一環"という感じだったのかもしれません。週2回の練習、最初はソフトバレーで痛くもなかったです。そのソフトバレーの試合で思っていたよりも結果を出せて、『試合で勝つのって楽しい』と強く思いました。やっぱり、魅力的だったのはスパイクですね。チームメイトが上げてくれたボールを自分が決めて勝つのが『いいな』って」
勝利する喜びは、少女を魅了した。
「でも、中学の時は悔しい結果が多かったです」
志摩は言う。
「『目指せ全国大会』を掲げて、自分の代で一番いい結果を出すことができて、県大会ベスト8までは行けたんですが......そこで負けた試合が、めっちゃ悔しい結果に終わってしまった。
それでも、実力不足ながら中学の県選抜に選んでもらって。周りの選手はすごかったですけど、そこでやらせてもらった時に『負けたくない』って思いが込み上げて、『もっといけるんじゃないか』と。それが、高校でもバレーを続けたいと思った理由かもしれません」
今度は、敗北が彼女を強く駆り立てた。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。