【ハイキュー‼×SVリーグ】PFUブルーキャッツ谷内美紅は高校から本格開花 上を向けない時は田中龍之介の言葉が支えに
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(33)
PFUブルーキャッツ石川かほく 谷内美紅
(連載32:アクアフェアリーズのセッター、安田美南の理想像は宮侑「スパイカーの力を最大限に引き出すトスが好き」>>)
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PFUブルーキャッツ石川かほくの谷内美紅(25歳)は身長185cm。手足も長く、それは大きなアドバンテージだろう。SVリーグでも、その高さは日本人選手のなかで1、2を争う。
谷内のバレーボール人生には、明確に一番悔しい瞬間がある。
「(筑波)大学では、1、2年の時に全日本インカレで優勝したんですが、3、4年は3位に終わってしまって。特に4年の時は、準決勝で負けた瞬間にコートに立っていなくて......メンバーチェンジをしたあと、そのまま負けてしまった。その悔しさは忘れられないです」
快活な表情で言いながら、語尾は微かに震えていた。
「3位決定戦があったんですが、どう切り替えればいいかわからず、寝られないままで挑みました。お互い、あと一歩で決勝という悔しい思いを抱えたチーム同士で、決勝の前座のような試合をするわけで......それでも、『吹っ切ってやるしかない』と思って、勝つことができた。その経験は大きいですね」
敗北の悔しさと、悶々としたなかでの勝利の狭間に、彼女のバレー人生が凝縮されているのかもしれない――。
石川県金沢市出身の谷内がバレーに本気で取り組むようになったタイミングは、ほかの女子バレー選手と比べると遅かった。
小学校では、複数の運動をやりながら才能を育むクラブに在籍していた。そこで少しバレーもやったが、初心者同然だった。中学に上がると、仲良しの友人から「バレーをやるよ」と言われた。背が高い谷内の存在を知ったバレー部の監督からも熱心に誘われ、入部を決めた。
「初心者だったので、最初はボールがまっすぐ前に飛ぶだけでうれしかったですね」
谷内は、少女のように邪気なく笑う。
「周りは、小学生の時からバレーをやっていた子が多くて。私は"お試し"の感じで、最初はボールを投げてもらっても前へ飛ばせませんでした。それが、アンダーで『こっちを狙ってみな』と教わってやってみたら、うまくできたんです。うれしくて、『バレー、やってみようかな』と思いました」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。