女子バレー日本代表・宮下遥があらためて振り返る現役生活 印象に残った3つのシーン、人生を変えた人とは? (5ページ目)
――指導者としては、厳しさも必要ですね。
宮下:私たちが成長するために言わなきゃいけないキツいことも、本当は嫌だったと思いますけど、ズバズバ言ってくれました。当時は、「平田コーチ、今日は練習に来ないでほしいな」と思うぐらい怖くて。でも、私が中学生でVリーグデビューを果たしり日本代表に召集されたりして、周りが「遥ちゃん、すごい」ってなっても、コーチは変わらずに、ずっと厳しくいてくれた。「舞い上がるな」「天狗になるな」という意味も込めて、「遥はこうじゃなきゃダメだ」と言ってくれました。私がダメになりそうな時を、支えてくれた方です。
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――最後に、あらためてバレーボール人生を振り返っていただけますか?
宮下:私はバレーボールを中心に人生を送ってきたので、バレーボールをしていなかったら、早いタイミングでやめて違う道に行っていたら......と思ったこともあります。30歳になる目前まで駆け抜けてきて、バレーボールを通じて出会えた人たちが本当にすばらしすぎました。
もしバレーボールをしてない自分と比べたら、競技をしている人生で出会った人たちとの時間のほうが絶対に豊かだったはずです。バレーボールという枠を超えた、心のつながりもあったと思っています。それぞれの出会いにレベルなんてものはないけど、本当にいろんな人との出会いが、その時その時の私を育ててくれました。「出会いに感謝」。このひと言に尽きるバレーボール人生だったと思います。
【プロフィール】
■宮下 遥(みやした・はるか)
1994年9月1日生まれ、三重県出身。177cm。セッター。中学3年生だった2009年に岡山シーガルズに選手登録され、同年11月にⅤリーグ史上最年少出場記録となる15歳2カ月でデビュー。翌年3月には日本代表の登録メンバーに選ばれ、2016年のリオ五輪では正セッターを務めた。岡山シーガルズひと筋で15年プレーし、2024年4月に現役引退を発表した。
著者プロフィール
中西美雁 (なかにし・みかり)
名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)、『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当
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