女子バレーボール林琴奈が日本代表の主軸へ。ほぼ出番なしで「悔しかった」東京五輪からどのように成長したのか (4ページ目)

  • 中西美雁●文・撮影 text & photo by Nakanishi Mikari

――世界バレーでは、第3戦の中国戦で古賀選手がケガで離脱。東京五輪と同じような状況になりましたね。

林 東京五輪での経験もあってか、チームとしての動揺は少なかったように思います。古賀選手だけでなくすべてのチームメイトを信頼していましたし、私も焦りはあまりなかったです。その後の多くの試合で起用された石川真佑選手も、強い気持ちでコートに立ってくれたので、「しっかり最後まで頑張ろう」とチームがまとまったと思います。

――世界バレー全体を通して、林選手はチームの軸となっていた印象があります。自身のプレーはいかがでしたか?

林 世界バレーの直前に、フランスでプレオリンピック大会があり、チームは全勝で優勝したんですが......私自身は最後の2戦くらい、あまり調子がよくなくて。ライトはすごくチームにとって重要なポジションであることを再認識しましたし、「責任を果たさないといけない」という自覚も芽生えました。世界バレーでは「しっかり自信を持って戦う」ことをテーマに最後までプレーできたので、成長につながったと感じています。

(後編:世界バレーで躍動できた理由。同級生セッター・関菜々巳との話し合いも力に>>)

【プロフィール】
林琴奈(はやし・ことな)

JTマーヴェラス所属。アウトサイドヒッター・173cm。1999年11月13日生まれ、京都府京都市出身。金蘭会高時代は主将として春高バレーで全国制覇し、MVPも受賞。JT入団後も内定選手の時から大事な試合で起用されるなど、攻守で安定したプレーを持ち味とする。日本代表には2020年に初登録。翌年の東京五輪は控え選手で出番が少なく、2022年度の日本代表ではレギュラーに定着した。世界選手権では、準々決勝のブラジル戦でチーム最多の21得点を挙げるなど代表になくてはならない存在となった。

【著者プロフィール】
中西美雁(なかにし・みかり)

名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当

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