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川合俊一会長が進める日本バレー改革。人気復興のため協会・選手は何をすべきか?「目立つことをやる選手が現れれば...」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

――押しに弱い部分があるんですね。

「タレント活動でもそうですよ。例えば、番組の司会などをやると視聴率も考えなきゃいけなくなる。だから僕は『コメンテーターがいい』と言ったのに、『いや、司会者で』と言われて引き受けちゃう。それで、同じ時間帯の番組の中で視聴率1位になるまでやるとかね。

 会長に就任することが決まった時も『長くなるな』と思いました。2、3年ごとに会長が代わっていては信頼を得られない。それはスポンサー回りをした時にも言われました。

 それで覚悟を決めて、長く会長を続けるための組織作りから始めました。会長として一番難しいのは"決定すること"。いろんなプランやアイディアを出すスタッフはいっぱいいるんですけど、何を採用するのか。どうしても及び腰になる部分ですが、その役割をしっかり果たしていきたいです」

――川合さんが現役選手だった頃は、今よりもバレー人気がものすごかったように思います。

「あの頃にバレーが人気になったのは、雑誌の影響が大きかったですね。バラエティ番組などは出られなかったですし、テレビに出る時は試合とインタビューだけ。だから雑誌から攻めて、『セブンティーン』、『明星』、『平凡』などがバーッと取材してくれた。それで野球をもしのぐくらいの人気が出ました。『スポーツ選手なのにパンチパーマでも角刈りでもない、ちょっとおしゃれな奴が出てきたぞ』という感じだったんでしょうね。

 僕は服飾のデザイナーとも仲がよかったので、ファッションショーで使ったものなどを着ていました。通っていた明大中野高校は芸能人もいっぱいいたし、『あの服かっこいいな』と真似して着ることもあったり。当時のスポーツ選手は、ジャージ以外はポロシャツと紺のスラックスみたいな世界でしたから、やっぱり目立ちますよね」

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