女子バレー全日本の徹底したソウル五輪対策。「仮想・ソ連」戦に負けたあと、ハサミとキリを持った指揮官の行動に大林素子は絶句した (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

監督がハサミとキリでまさかの行動

――そこまで本番を想定した『仮想・ソ連』の試合結果はどうだったんですか?

「負けてしまいましたね。それでも、試合後に控室で着替えながら、江上由美さんや中田久美さんたちと『本番は頑張ろう』と話していました。ところが、着替え終わったあとにミーティングをすると言われてコートに集められると、そこで山田先生は、マネージャーに『ハサミとキリを持ってこい』と指示したんです。

 とっさに、『髪を切られるのかな?』と思いました。当時はまだ長く髪を伸ばしちゃいけないという風習があったんですが、私はちょっと伸ばしていたんです。大好きだった松田聖子さんのようなパーマをかけていたので、『チャラチャラするな!』とバッサリいかれるのかと。

 そう思っているうちに、山田先生はいきなりネットの紐を1本ずつ切り始めたんです」

――選手たちの反応は?

「何が起きているのか、理解するまで時間がかかりました。私は、選手たちが泣きながら止めに入る中で、キャプテンの由美さんだけが椅子に座ったままそれを見つめていた、と記憶しているんですが......何年か経ったあとにみんなで話したら『逆に江上さんだけが監督を止めようとしていた』という説も出てきて。どちらが正しいかはわからないですが、それくらい混乱していたということだと思います。

 先生はネットを切り終わったあと、今度はキリで神聖なボールに穴を開けていきました。そうしてバレーができない状態にしたあと、山田先生は『お前たち、今日はリハーサルだから負けても次があると思ったんだろう。オリンピックで勝てばいいと思ったんだろう。でも、今勝てなければ本番でも勝てるわけがない。俺は今日がオリンピックだと思ってこの1週間を過ごしてきた。だからもうネットもボールも要りません。ありがとうございます。みなさんのオリンピックは今日で終わりました』と言ったんです」

――その言葉に何を思いましたか?

「先ほども言ったように、私たちはどこかで『本番で勝てばいい』という気持ちがあって、先生はそれをわかっていたんだなと。練習に臨む時に『練習だから』『本番にちゃんとやればいい』という気持ちではいけない。それを正すために、あえて山田先生は自分にとっても一番つらい行動をとって、私たちに教えてくれた。"演出家"というか、世界一の指導者だなと思います。

 それは私だけが感じたことではなくて、その場にいた全員が『すごかった』と振り返ります。それくらい衝撃的なことでした。そこから五輪本番まで約1カ月。『もうあんな思いはしない。絶対にソ連より練習して、絶対勝ってやる!』と、チームが固まった瞬間でしたね」

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