若手の美人バレー選手として「客寄せパンダ」にされた齋藤真由美。同じく苦しんだ益子直美と取り組む「怒らない指導」
元女子バレー日本代表
齋藤真由美インタビュー 後編
(中編:禁断の移籍を決断させた名将の言葉>>)
美人バレーボーラーとして人気となった齋藤真由美だが、それゆえの"扱い"に悔しい思いをすることもあった。さまざまな言葉に「さんざん傷つけられた」からこそ、齋藤は言葉で子供や選手たちを助ける活動を始める。
現在は、現役時代にやはり美人選手として大きな注目を集め、周囲の言葉や当時のスパルタ指導などに苦しんだ益子直美とともに、監督が怒ってはいけない指導を広める活動を行なっている。その過程や今後の目標について聞いた。
「美人選手」としても注目された一方、それゆえの悔しい思いもたくさんしたという齋藤 Photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る***
――齋藤さんは自らの意見をしっかり伝えて自分のプレー環境を確立してきました。これまでの話にも出てきましたが、風当たりも強かったでしょうね。
「特に、オリンピックを辞退した時のバッシングはすごかったですよ。毎日のように電話がかかってきて、『非国民だ』と言われることもありました。母や兄に対しても、『家族なんだからコントロールできるだろう』という脅迫めいた要求がありました。兄は盾になってくれましたし、母も『自分の行動に責任を取れるなら、自分で決めなさい』と支えてくれたので、本当に感謝しています」
――招集を辞退する理由はあったんですか?
「まだ若手で全日本に召集された時、『ベンチに座っていればいいから』と言われたことがあったんです。私は"客寄せパンダ"の扱いでしかないのかと。その枠に、能力があるほかの選手が入ったら勝てる確率が上がるのに、観客動員などが優先されてしまったんでしょう。それなら、私を大事に思っている人のためにプレーしようと思うようになったんです。
当時から、アメリカなどではオリンピックに行かずプロで稼ぐ選手がたくさんいました。私も価値観が違うことを理解してもらおうとしたのですが、批判や反発としかとらえられませんでしたね」
――当時の齋藤さんは、あまりインタビューなどに応じなかったイメージがあります。
「心を閉ざして、笑顔も見せませんでしたね。試合後には会見に呼ばれて、『どうでしたか?』と聞かれるわけですが、『なんで自分を悪く書く人たちの質問に答えないといけないの?』という不満がありましたから。でも今は、そういう時こそ自分の言葉で伝えることをしないといけなかったな、とも思います」
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