若手の美人バレー選手として「客寄せパンダ」にされた齋藤真由美。同じく苦しんだ益子直美と取り組む「怒らない指導」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

【支えとなった言葉を「学ぼう」】

――5歳上の益子直美さんと一緒に、「美人バレーボーラー」という形で注目されたのも、批判を大きくする原因になったのでしょうか。

「大きな力が働いて、写真集とかも出ましたね(笑)。

 マコさん(益子の愛称)も、昔の指導法にかなり苦しんだ方です。私がミスすると、なぜか連帯責任で怒られたり。若いうちにレギュラーになったり注目されたりすることを、よく思わない人もいましたから。マコさんは現役時代、『引退することが私の目標』と言っていましたが、バレー選手、アスリートとしてそんな悲しいことはないですよね。引退後もスポーツに関わる仕事はしばらくされていませんでした。

 マコさん本人は本当に優しかったです。『マッチョ(齋藤の愛称)がのびのびプレーすればチームは勝てるんだから、好きなようにやったらいい』と支えてくれました。私は『負けていられない』とやり返すことに集中してしまって、マコさんの心がどれほど傷ついていたのか、ちゃんと理解できていませんでした」

――プレー以外で戦うことも多かったんですね。

「先ほどの全日本のこと以外にも、本当にいろんなことを言われましたね。『お前は父親がいないから教育ができてない』『色気づいたプレーをしやがって』『結果が出たからっていい気になるな』『齋藤とは口をきくな』......。そういった言葉でさんざん傷つけられましたが、家族、事故にあった時に支えてくれた方々、(アリー・)セリンジャー監督など、前に進む時の支えになったのも"言葉"なんです。

 全日本で活動していた時には、日本電気(現NECレッドロケッツ)のトレーナーで、全日本のトレーナーとしてもご尽力いただいていた岩崎由純さんにも、さまざまな言葉をかけていただき元気をもらいました。チーム間の対立構造が色濃かった当時も、岩崎さんは常にオープンで、違うチームの選手に対しても分け隔てなく平等に治療をしてくれたんです。

 私は言葉で傷つきすぎて、多くの人と心のなかでは距離を保っていました。『心に響かない人に何を言っても無駄だ』という諦めもありましたね。でも、今度は私が言葉で支えられるように、『言葉を学ぼう』と思うようになりました」

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