春高→全日本で国民的ヒロインに。だが益子直美は「試合が怖かった」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

◆中田ジャパンは新鍋理沙の穴をどう埋めるか>>

美女バレーボーラー益子直美の今 前編

 元バレーボール女子日本代表の益子直美がブレイクしたのは、1984年の春高バレーでのこと。東京代表・共栄学園の2年生エースとしてチームを準優勝に導き、美女アスリートとしても人気を集めた。

 高校3年生で日本代表に選出され、イトーヨーカドー女子バレーボール部でも主将を務めるなど活躍するも、25歳の若さで1992年に現役を引退。その後、テレビタレントや指導者など幅広く活躍を続けてきた益子だが、人気絶頂時に抱いていたのは「早く現役をやめたい」という思いだった。

タレントや指導者など幅広く活躍する益子直美 photo by Tanaka Wataruタレントや指導者など幅広く活躍する益子直美 photo by Tanaka Wataru――1984年の春高バレーでの準優勝を振り返っていかがですか?

「大会前に『目標はベスト4』と言ってはいましたが、それまで1セットも取ったことがなかった、同じ東京代表の(1年生の大林素子を擁する)八王子実践が同じブロックにいたんです。だからベスト4以上は無理だろうと思っていましたし、チームメイトたちも『ベスト8でも御の字だよね』とタカをくくっていました。それが、準決勝で八王子実践と当たって、まさか勝てるとは......。自分たちの実力以上のものが本番で出た大会でした」

――益子さんは「下町のマコちゃん」という愛称で注目を集めましたが、当時では珍しいジャンプサーブとバックアタックが印象的な選手でした。

「そのふたつが自分の武器だったんですが、完成度はそんな高くないし、最近の選手に比べるとお粗末なものでしたよ。なにしろ、見本とする選手がいませんでしたから。ジャンピングサーブも連続で入ったことがなかったのに、春高本戦では何本も連続で入ったんです。そういった点でもミラクルだったと思います」

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