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春高→全日本で国民的ヒロインに。
だが益子直美は「試合が怖かった」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――同年の秋には、高校3年生で日本代表に選ばれましたね。

「その夏にロサンゼルス五輪があって、江上由美さんや三屋裕子さんが引退されたこともあっての選出でした。当時の私にとって、周りのメンバーは"テレビの中の人たち"。そこに自分が選ばれた状況をよく理解していなくて、『サインほしいな』と思っていました(笑)。

 全日本で戦うために、アスリートとしてどんな覚悟をして臨んだらいいかもわからないまま、高校の恩師に『行ってこい』と言われてそこにいた感じです。完全に"お客様"でしたし、すごく失礼なことをしましたね」

――春高での活躍や、全日本に選ばれたことで爆発的な人気が出たことをどう感じていましたか?

「信じられませんでしたよ。中学時代は関東大会すら出たことがない選手でしたから。あの春高での"ミラクル準優勝"がきっかけで、本当に人生が変わりました。初めて全日本に入った頃は、通学路にある商店街を自転車で通る時に、薬局のおじさんが栄養ドリンクをくれたり、八百屋のおばさんが果物をくれたりしました。『見たよ!』と声をかけてくださるのも嬉しかったです。

 ファンレターもたくさんいただいたので、返事を書くために、父に返信用のはがきを用意してもらうこともありましたね。ファンレターに混じって、他の女子バレー選手の熱狂的なファンと思われる方から、カミソリが送られてきたこともありましたけど(笑)」

全日本当時の益子(『バレーボールマガジン』提供)全日本当時の益子(『バレーボールマガジン』提供)――注目を集めすぎてしまうのも大変ですね。

「学校の先生からは、『お前は有名になって学校の模範になっているんだから、変なことはするな!』と釘を刺されました。スカートの丈や、髪型にも厳しかったです。部活や全日本の活動もあって、修学旅行に行けず文化祭にも出られず......。その反動から、部活を引退してすぐにパーマをかけたんですけど、すごく怒られました。頭をゴンとされて、『なんだその寝グセは!』と(笑)」

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