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「簡単に返事をしてはいけない」
栗原恵が移籍のオファーに迷った訳 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari 木村正史●撮影 photo by Kimura Masashi

――JT入団までのフリーの期間は、ヨガなどをされて「目覚まし時計をかけない生活を楽しんだ」ともお聞きしましたが。

「ずっとヨガには興味があったんですが、クロスフィットというトレーニングを新しく始めたりもしました。現役復帰のためのトレーニングではなく、自分のあらたな趣味、視野を広げるためにやってみたんですけど、楽しくてとても新鮮でした」

――ある程度バレーから距離を置いて"楽しむ"時間は初めてだったんですか?

「そうですね。何度もケガして、バレーボールができない時期がたくさんありましたが、手術をしてすぐリハビリが始まってと、常に復帰を目指してやっていましたから。目標を定めず、自分の好きなように過ごすことは初めてでした」

――何度もケガを乗り越えながらシーズンを重ね、また新たなチームに移籍。メグカナブーム当時のイメージからすると、ここまで現役にこだわることは意外でした。栗原さんは奔放で、「すぐにタレントになっちゃうのかな?」とも思っていたので(笑)。

「そうなんですね(笑)。自分でも、ずっと『長くやりたいです』とは言っていたんですけど、実現するとは思っていませんでした。自分でチームをやめるタイミングを決められたり、そこからまた声をかけていただけることは本当にありがたいです。それまで一緒にプレーしてきた先輩たちのなかには、"やめなければならない状況"になってコートを去った選手がたくさんいましたからね。

自分もいつかそうなるんだろうとも思っていました。なので、今年も現役でいられることには感謝しかありません。ファンの方からもずっと、『納得がいくまでやりきってください』と励ましの声をいただいてきました。それに後押しされて、メダルは取れませんでしたがオリンピックに出場できましたし、すごく前のことですけど、2005-2006シーズンにはVリーグで優勝することもできました」

――そのときは、最高殊勲選手賞、サーブ賞、ベスト6賞を獲得しましたね。

「だいぶ前のことですね(笑)。いろいろな経験をさせてもらって、『やりきった』という思いがないわけではないんですけど、プレーできる環境があることがありがたいと思ってプレーしていたら、いつの間にかこの年齢になっていました」

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