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【女子バレー】新セッター宮下遥。不安の涙から強豪と戦う喜びへ (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●写真 photo by Sakamoto Kiyoshi

 全日本の新司令塔として国内初お披露目となった仙台大会の前日には、「竹下の代わりの司令塔として......」という問いかけに、「セッターが変わったから日本が弱くなったと言われるのがこわい」と報道陣の前で涙を見せたこともあった。

 だがファイナルの初日にはイタリアをストレートで破り、自身もMIP賞(最も印象的だった選手に与えられる)を受賞。これで一息つけたのか、女王ブラジル相手にも、物怖じせずにツーで返して得点したり、ブロックでも3得点したりと、のびのびとしたプレイを披露した。終盤はレセプション(サーブレシーブ)が乱れてアンダートスを上げる場面が多々見られたが、中盤までは五輪メンバーを多く擁するブラジル相手に対等に渡り合うことができた。本人のコメントも、初々しいながら堂々としたものだった。

「オリンピックで金メダルを獲ったチームと対戦できて、感動しながらやっていました。試合はストレートで負けてしまったけど、とても楽しかったです」

 今年度の全日本始動記者会見では、リオ五輪についての意気込みを問われ「それより先に、まず(所属する)岡山で優勝したい。しなければならない」と言っていたが、現在の心境は、「やっぱり世界の強豪と戦えるのは、すごくやりがいがあります」と、いい方向に欲が出てきた。

 小学生でバレーを始め、中学生でアタッカーからセッターに転向。史上最年少の15歳2カ月でVリーガーとしてコートに立った。その最初の試合では、コート内で味方選手と交錯し、前歯を2本折るアクシデントがあったが、気丈にもその後もコートに立ち続けた。もっとも最初に岡山シーガルズの司令塔としてポジションを獲得したシーズンは惨憺たる結果に終わった。レギュラーシーズンは1勝25敗、8位。もちろんファイナルラウンドに進むこともなくシーズンを終えた。だが、岡山の河本昭義監督は宮下を使い続けた。

「バレーボールをプレイするたくさんの子ども達と話をする機会を持つようにしていますが、彼女は『オリンピックに出て世界と戦いたい』という思いがものすごく強い子だった。その思いを叶えるためには、セッターにするしかない。そう信じて、まだ中学生の彼女に転向を勧めたのです」(河本監督)

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