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石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《前編》「男の子だったら間違いなく野球選手になったんじゃないかな」 (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【始球式が何かも、よくわからずに...】

── さやかさんは、お父さんが野球選手なのだと認識したのは、いつ頃でしたか?

さやか「あんまり......私にとっては一応、普通のお父さんなので。現役中のことはあまり知らなかったし、すごい選手だという実感はなかったんです。どうだろう......ちゃんと、そういう人だったんだなと知ったのは、けっこう最近。中学生になった頃かな?」

琢朗「現役時代は知らないもんな。僕が2000本安打を打ったのが2006年なので、その時、さやかはまだ1歳。現役を引退したのが2012年なので、小学校に上がった頃かな?」

さやか「うん、小さい時に引退しちゃったから、現役のころの記憶はぜんぜんない。球場には行ったけれど、どちらかというと横浜より、広島(東洋カープ)に移ってからのほうが記憶に残っているかな。球場に行くのも、友だちも行っているからという感じで、野球はあんまり見ていなかった。でも、引退試合の時は、ちょっと覚えている」

琢朗「マツダスタジアムで、娘ふたりで始球式させてもらって。投げたのは長女だけれど、さやかもお姉ちゃんにくっついてマウンド付近まで行ったけれど......そんなこと、覚えてないよな?」

さやか「あまり覚えてない。始球式が何かも、よくわかっていなかったから(笑)」

── 子どもの頃のさやかさんは、どんなお子さんでしたか?

琢朗「本当に天真爛漫。その四字熟語がそのまんま当てはまる子ども時代でした。男の子だったら間違いなく野球選手になったんじゃないかなっていうくらい、もう、じっとしていられない。すぐにどっかに行っちゃうっていう」

── 子どもにスポーツをさせたいという思いは、やはりあったのですか?

琢朗「スポーツはいろいろとやらせていましたね。水泳や体操も。テニスはどちらかというと、お姉ちゃんがやっているからやりたいみたいな感じだったよな?」

さやか「でも、水泳も好きで、水泳かテニスか選ぶ......みたいな感じだったんですけど。そこでなんでテニスになったのか、ちょっと自分でも覚えていない(笑)。たぶん、広島に引っ越したことが大きかったのかな」

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