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石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《前編》「男の子だったら間違いなく野球選手になったんじゃないかな」 (4ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【早いうちから海外に行かせたかった】

さやか「私はそこまで、食べるものを制限されていたとは感じなかったけれど、でも、たくさん食べろっていうのはけっこう言われていました」

── 琢朗さんは子どもたちに、アスリートになってほしいと思っていたのでしょうか? あるいは厳しさを知るだけに、プロにはならないほうがいいと思っていたのでしょうか?

琢朗「これはさやかだけでなく、長女に対してもそうですが、やはりどうしても普通の人に比べたら、見る目が厳しくなってしまうんです。練習にしても、手を抜いたりすると、『やるならちゃんとやれ!』ってなっちゃいます。

 だから、さやかにも小さい時から、やるのなら本格的にプロを目指しなさい、くらいなことを言っていました。最終的には、勉強かテニスか、どっちかっていう感じだったのかな」

さやか「私は練習が嫌いだけれど、試合は大好きだった。だから練習も、試合形式だったらちゃんと集中してやるんです。でも、球出しとかの反復練習は嫌いで......。それをしっかりやれって言われても『つまらない』みたいな感じだったんです。そこに関しては反抗的だったけれど、最近はもちろんちゃんとやっていますし、練習の大切さもわかっているけれど......」

琢朗「昔はもう、口うるさいって思っていただろうね」

さやか「ねー」

── テニスは最終的に、世界が戦いの舞台となる競技です。今、さやかさんは米国フロリダ州のIMGアカデミーにいますが、琢朗さんは「いつか娘を世界に送り出さなくては」と思っていたのでしょうか?

琢朗「もちろん、いつでも羽ばたいていってください、という感じでした。早く親元から離れねぇかなって(笑)。さやかもそれを望んでいたと思うし、そもそも目指しているところが、ウインブルドンでの優勝。富士山ではなくエベレストを目指しているので、だったら拠点は日本じゃないでしょうとは思っていました。

 本人もけっこう貪欲なので、海外に行って帰ってくると、モチベーションも上がっているようだった。そういう気持ちは常に彼女のなかで持っているでしょうし、僕はやっぱり早いうちから、そういうところに行かせたいなと思っていました」

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