石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《前編》「男の子だったら間違いなく野球選手になったんじゃないかな」 (5ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【さやかの優勝は、本当にうれしかった】

── さやかさんは、親元を離れることに寂しさはなかった?

さやか「まったく!」

琢朗「もう、羽を広げて、伸び伸びと!」

さやか「うんうん」

琢朗「子どもの頃から、海外にどんどん連れていってくれるコーチたちに見てもらっていたので。そこで外国に行ってトラウマになったりせず、逆に『海外すごい!』という感じで帰ってきたから、よけいに思いましたね。この子は日本にいちゃダメだって」

さやか「海外に行っているほうが楽しかったですね」

琢朗「僕らも今のほうがラクですよ。洗濯物と食事とか、いろいろ考えなくて済むから(笑)」

さやか「でもぜんぜん、お母さんには信用されていないです。いつも『ちゃんと食べている?』とか連絡がくるので。家にいる時より、海外にいるほうがちゃんと自分でやるんですよ。だからそんな心配されなくても......と思うんですけど。

 やっぱり見ていないと、親は心配みたい。『大丈夫? ちゃんとやっている?』みたいにお母さんは聞いてくるんです。コレ(と言って琢朗氏を指差す)は気にしてないと思いますけど」

琢朗「コレ呼ばわりかい!」

   ※   ※   ※   ※   ※

ふたりの会話の節々から仲の良さが感じられた photo by Sano Mikiふたりの会話の節々から仲の良さが感じられた photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 威風堂々と語る父親と対照的に、幼さの残る面差しに思春期の初々しさを宿す娘は、父親と並んで取材を受けることに、照れくささを隠せない様子。

「まだ反抗期?」

 そう尋ねると、「ずーっとです!」の快活な言葉が返ってきた。

 さやかさんが練習のため席を離れると、その背を見送る琢朗氏が、「LINEでは、やっと少し、いろいろと話してくれるようになったんですけれどね」と小さな笑みをこぼす。

「さやかの優勝は、本当にうれしかった。たぶん、本人より喜んでいたと思います。でも、目指す場所はここではないので、満足してほしくはないですしね」

 父親として、そしてアスリートの先達として、娘と真摯に向き合ってきた琢朗氏の想いが、遠くを見つめる横顔に浮かんだ。

(後編につづく)

◆石井琢朗&石井さやか対談・後編>>「いつまで経っても『お父さんの娘』の立場じゃ悔しいじゃないですか」


【profile】
石井琢朗(いしい・たくろう)
1970年8月25日生まれ、栃木県佐野市出身。1988年のオフにドラフト外で足利工高から横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に投手として入団。1992年から内野手に転向し、最多安打2回、盗塁王4回に輝く。2006年に2000安打を達成し、2008年に広島東洋カープに移籍して2012年に現役引退。指導者として広島→ヤクルト→巨人でコーチを務め、現在は横浜DeNAチーフ打撃兼走塁兼1塁ベースコーチ。身長174cm、体重82kg。

石井さやか(いしい・さやか)
2005年8月31日生まれ、東京都渋谷区出身。プロ野球選手の石井琢朗の次女として生まれ、5歳からテニスを始める。ジュニアで数々の好成績を収め、2022年11月の国別対抗戦ビリージーンキングカップで初の日本代表に選出される。2023年全豪オープンジュニアでは女子単複ベスト4となり、同年3月にプロ転向。2024年4月の富士薬品セイムスウィメンズカップでプロ初優勝を果たす。ユニバレオ所属。身長175cm、体重68kg。

プロフィール

  • 内田 暁

    内田 暁 (うちだ・あかつき)

    編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。

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