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石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《前編》「男の子だったら間違いなく野球選手になったんじゃないかな」 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【食事のことは妻のほうが厳しかった】

琢朗「僕が引退して広島のコーチになったタイミングで、家族で一時期、広島に移ったんです。その時に住んでいたのが広島広域公園近くの、1994年アジア大会の選手村の跡地でした。だからもう、マンションの下一面がズラーっとテニスコート。もう、テニスをやれっていう環境だったんです。そこで地域のチームに姉とふたりで所属したんだけれど、別々のチームに入るという(笑)」

さやか「お姉ちゃんのチームとは、私は合わなかったから。お姉ちゃんが入っているチームは、すごく走らされるチームで、でも私は走るのが大嫌いだった(笑)。楽しくできるほうのチームに入っていました」

琢朗「お姉ちゃんのほうが几帳面だからね、チーム練習にも真面目に取り組んでいた。さやかは、隙あらば試合がしたい。自由奔放な性格なので、そういう自由なほうに入っていた感じでしたね」

さやか「でも、練習はちゃんとやっていましたよ。走るのが嫌いなだけで(笑)」

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娘のことはずっと笑顔で話してくれた石井琢朗氏 photo by Sano Miki娘のことはずっと笑顔で話してくれた石井琢朗氏 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 幼少期から活発だったという石井家の次女は、すくすくと育ち、身長ではすでに父親越えを果たした。そのような恵まれた体躯や高い運動能力は、石井家の教育方針や、琢朗氏による英才教育に由来するのだろうか?

── 琢朗さんは、さやかさんが幼い頃からアスリートに向いていると感じていたのでしょうか?

琢朗「どうだったかな......」

さやか「でも、私は昔から運動神経、よかったですよ。この前、アルバムをお母さんと一緒に見ていた時、お母さんに『さやちゃんはね、鉄棒にずっとぶら下がっていられたんだよ』って言われました。小さい頃から動くのが得意だったとも言っていたので......運動神経はもともといいんです(笑)」

琢朗「まだ、テニスに生かされてないってことだなぁ(笑)」

さやか「はいはい、そうですね」

── でも身長は現在175cmで、もうお父さんより上ですよね? 家での食事なども気をつけていたのでしょうか?

琢朗「そこは僕より、妻のほうが厳しかったです。食事面でも、生活面に関しても。僕が現役の時、彼女は栄養の勉強などもかなりしていたので、その知識を子育てにも役立てていました。食事の内容や栄養の取り方にも、すごく気を遣ってくれていました。寝る時間にしても、けっこう細かかったと思います。『早く寝なさい』っていうのは、よく言われていたよね?」

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