19年のキャリアに幕...天才テニス少女・森田あゆみが歩み出す指導者の道「苦労している若い選手のサポートがしたい」 (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【世界を知っているコーチのところに行ったほうがいい】

「高崎に移った時、コーチにすぐにグリップは直されました。高崎テニスクラブの先輩の飯島久美子さん(単最高位182位)が、やはり両手打ちでグリップは持ち替えだったんです。それもあってか、そこだけは直されましたが、あとはとにかく『思いっきり打て』って言われてました。

 コーチの息子さんの松田隼十くん(現テニスツアーコーチ)とは同じ学年だったので、本当に毎日、ずっと彼と一緒に練習していました。今の高崎テニスクラブはプロ選手がたくさんいますが、当時はそこまででもなかったので、プライベートや少人数でレッスンを受けられたんです。

 あとは本当に結果を気にせず、伸び伸びとやらせてもらえた。ベースとなるテニスは、高崎で作ってもらえました。あの年代の自分には、それがすごく合っていたと思います」

 伸び伸びと振るう両腕で、森田少女は次々と勝利を掴み取っていった。

 同世代では「国内敵なし」となった彼女が、世界へと続く新たな扉を叩いたのは、中学2年生の秋。行先は、神奈川県の茅ヶ崎。杉山愛が拠点とし、母の杉山芙沙子さんが運営する「パーム・インターナショナル・テニス・アカデミー」である。

「パームに移ったのは13歳の時です。その頃から、プロになりたいなって思い始めていましたが、群馬では練習相手もいなくなっていた。高崎の松田コーチも『世界を目指すなら、自分にはここから先のことはわからない。世界を知っているコーチのところに行ったほうがいい』と母親に言ったそうなんです。

 それで母親がコーチを探していた時に、たまたまテニス雑誌で丸山(淳一)コーチのインタビューを読み、『この方の考え方が私には合っている』と思ったそうです。その頃の私は、ナショナルチームのコーチたちからは『打ちすぎだ』って言われていたんです。もっとミスを減らすようにと......私はあまり聞いてなかったんですけど(笑)。

 でも、丸山コーチの指導論はそうではなかった。そこでパームに行って、丸山コーチのプライベートレッスンを2時間受けさせてもらったら、私はもう『このコーチに教わりたい、ここでやりたい!』と思って。その場で決めました」

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