19年のキャリアに幕...天才テニス少女・森田あゆみが歩み出す指導者の道「苦労している若い選手のサポートがしたい」 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

引退セレモニーで森田を労う杉山愛(写真提供●安藤証券オープン東京2023)引退セレモニーで森田を労う杉山愛(写真提供●安藤証券オープン東京2023)この記事に関連する写真を見る

【杉山愛との練習で『世界の30位はこんな感じなんだ』】

「実は私、そこが杉山愛さんのところだと知らなかったんです」──。そう振り返る森田は、恥ずかしそうに笑う。丸山淳一氏は杉山愛をはじめ、フェドカップ(女子国別対抗戦)代表コーチ等の歴任者だ。

 その人物に師事したいと即決した理由は、今でもよくわからないという。ひとつ確かなのは、新たな指導者と環境を得て、彼女はひと足飛びに世界への階段を駆け上がったことだ。

「パームに移った頃からは、自分が何をしていくべきかがわかったので、これから戦っていくうえで必要なことに取り組んでいました。

 それができたのは、本当に環境のおかげだと思うんです。世界を知っている丸山コーチが常にいて、世界で上に行くために必要なトレーニングとかも自然と一緒にやってくれる。プロになって試合に出るようになってからは、杉山(愛)さんが近くにいた。

 杉山さんとは、同じ大会に出る時は一緒に練習してもらえたし、ダブルスも組んでもらえました。自分に足りないものがはっきり見えていたのも、若いうちから杉山さんと打つ機会があったからだと思います。当時の杉山さんは30位に入っていたので、『世界の30位はこんな感じなんだ』というのを知ることができました」

 同世代の友人たちが遊んでいる姿を見ても、「自分の生活が充実していたので、遊びたいと思わなかった。テニスが嫌いになったことは、たぶんないんじゃないかな」とさらりと言う。

 ただ、本人が振り返るプロキャリアは、必ずしも耳に優しいものだけではない。

 イップスに陥り、「ネット手前でバウンドしちゃう」サーブを重ねた試合もあった。なにより、25歳で手首にメスを入れるその以前から、常にケガには悩まされ続けた。それでも彼女はそれらの日々に、"苦闘"などのレッテルを貼ることはない。

「もどかしいこともあったけれど、でも、充実していたのは間違いない。いろんなことがありつつも、自分の好きなことを日々、全力でできている。

 ケガはないほうがたしかにいいですが、でも、ケガをしたら目標ができて、それをクリアするために毎日ベストを尽くす。基本、やっていることは試合と変わらないというか。自分で課題を見つけて、目標を立てて、それに向かって日々頑張るというところは同じですから」

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