小柄でも強くなれる。西岡良仁が培ってきたプロになるための思考法
そこは彼の、始まりの地だった――。
三重県津市の市街地から幾分離れた、伊勢湾を望む閑静な町。そこで両親が経営するテニススクールのインドアコートこそが、西岡良仁が今に連なる世界への道を歩み始めた出発点だ。
斎藤貴史(左)と沼尻啓介(中央)の同期選手と一緒にプロジェクトを行なう西岡良仁 高窓から差し込む秋の日差しがボールから散るフェルトを輝かせながら、柔らかな陰影を描くそのコートで、彼は子どもたちにテニスを教えていた。
西岡が旧知の仲である、斎藤貴史と沼尻啓介の同期選手とともに企画した、レッスンをメインとしたファンとの交流会。スポンサー探しから運営まですべて自分たちで執り行ない、『地域活性化プロジェクト』と銘打ったそのイベントには、この地から世界に達した西岡の背景と矜持が投影されていた。
同イベントは昨年、沼尻の郷里である茨城県つくば市で開催され、今年の津市開催が2回目。昨年、前十字じん帯裂傷のために9カ月間コートを離れた西岡が、テニス界に何かを還元したいと思い立ち実現したプロジェクトだ。
その前十字じん帯の大ケガから復帰した今年、西岡は一時ATPランキング380位まで落ちた地点から75位にまで駆け上がり、一旦のゴールラインに到達する。その道中では、「正直、今季できると思っていなかった」というツアー初優勝まで、中国の深センオープンで掴み取った。
今回、種々の思い出が染み込むコートで話を聞いていると、レッスンを受けた小学生たちが代わる代わる西岡のもとに立ち寄り、「ありがとうございました!」と丁寧に頭を下げる。
「来てくれてありがとう! 楽しかった?」
明るい笑顔を返す西岡は、「僕も、あんな感じだったんですよね」と記憶の針を巻き戻し、キャリアの始まりの日を語り始めた。
「ベースラインのあたりから、手で出してもらったボールを全力でぶっ叩いていました。身体が小さかったから、フォアもバックも両手でラケットを持って。ボールもプレッシャーを低くしたのを使ってましたね。
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