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ラグビー日本代表・山田章仁のトライには華があった 九州の韋駄天は40歳になっても走り続ける (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【「代表にふさわしいプレーをしろ」】

 大学卒業後、海外でのプロ選手となる道を模索しつつ、当時トップウェストAに所属していたホンダヒート(現・三重ホンダヒート)とプロ契約を結ぶ。入団初年度からチームの昇格に貢献し、2009年はトップリーグに参戦。持ち前のスピードや決定力は、最上位リーグでも十分に通用した。しかし、接点やタックルではまだ物足りなさを感じてもいた。

 そんな山田に転機が訪れる。2010年に三洋電機ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)へ移籍したことだ。「タックルしないと試合に出られない」というチーム文化のなかで、課題だったディフェンス力がメキメキと向上。トップリーグ初優勝にも貢献し、山田はプレーオフMVPと「ベスト15」に選出された。

 しかしワールドカップイヤーの2011年、山田はトップリーグで突出した活躍を見せながらも、フィジカルを重視していたジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)の信頼を得ることができなかった。代表合宿には呼ばれていたが、試合の最終メンバーに選ばれることはなかった。

 当時の山田は奇抜な髪型をしたり、アメフトとの「二刀流」に挑戦するなどしていた。そんな折、ワールドカップ終了後にエディー・ジョーンズHCが日本代表の新指揮官に就任。ジョーンズHCにいきなり「日本代表にふさわしいプレーをしろ」と諭され、それが山田にとって強い刺激になった。「先の目標ばかり見ていましたが、目の前のことにひとつひとつ集中するようになった」と振り返る。

 2012年秋、ノンキャップながらフランスリーグ選抜との強化試合で、山田は初めて日本代表として出場を果たす。ジョーンズHCは選考理由を「トライを取っているから」と語った。事実、そのシーズンの山田はリーグ新記録の20トライを挙げてトライ王に輝いていた。そして迎えた2013年11月のロシア戦で、ついに初キャップを獲得。積年の努力が形となった。

 2014年になると、日本代表では先発の座をつかみ、欠かせぬ中心選手として躍動。所属クラブでも名将ロビー・ディーンズHC(現・エグゼクティブアドバイザー)の下、パナソニックで3度目のプレーオフトーナメントMVPにも輝いた。

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