ラグビー日本代表2015「陰の立役者」廣瀬俊朗はキャプテンを外されてピッチに立てなくてもサポートし続けた
語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第33回】廣瀬俊朗
(北野高→慶應義塾大→東芝)
ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。
連載33回目は、慶應義塾大、東芝、そして日本代表でもチームを統率した「キャプテン」SO/WTB廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)を取り上げる。力強いリーダーシップで、東芝ではトップリーグ3連覇、日本代表では「ブライトンの奇跡」など、すばらしい結果を残した。その手腕は引退後も幅広いフィールドで生かされている。
※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
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廣瀬俊朗/1981年10月17日生まれ、大阪府吹田市出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 24年間未勝利だったラグビーワールドカップで、南アフリカを下す「ブライトンの奇跡」を筆頭に予選プールで3勝をマーク。2015年、日本代表チームは歴史的快挙を成し遂げた。
その大きく飛躍したチームをまとめあげて、「陰の立役者」として脚光を浴びたのが、当時33歳にして初めてワールドカップメンバーに選ばれた廣瀬俊朗だった。ただ、彼は記念すべきワールドカップの舞台で、1分たりともピッチには立っていない。
2012年、サントリーの監督だったエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)が日本代表の指揮官に就任する。ワールドカップの勝利から遠ざかったチームを変えるべく、世界的名将が選んだキャプテンが、2007年以来しばらく代表に呼ばれていなかった廣瀬だった。
「人間性とキャプテンシー」
ジョーンズHCは会見の席で、廣瀬の選出理由をこう語った。その一方で、久々に選ばれたことに対して廣瀬は「驚いたでしょ。僕も驚きました(笑)」と正直な気持ちを吐露した。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
























