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【部活やろうぜ!】五郎丸歩がキツすぎた佐賀工時代を語る「高校生らしい楽しい思い出はひとつもなかった」

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

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 学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【ラグビー】五郎丸歩インタビュー前編(全3回)

2015年に一世を風靡した「五郎丸ポーズ」 photo by AFLO2015年に一世を風靡した「五郎丸ポーズ」 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 今から10年前の2015年9月19日──。ラグビー日本代表の副キャプテンとしてワールドカップに臨んだ五郎丸歩は、優勝候補の南アフリカを下す歴史的快挙を成し遂げた。のちに「ブライトンの奇跡」と呼ばれることになる。

 日本代表57キャップを誇り、得意のプレースキックで積み上げたテストマッチ通算711得点は今でも日本代表記録。ヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)を日本選手権優勝に導き、2016年には海を渡ってフランス・トゥーロンでもプレーした。五郎丸はまさに日本ラグビー界の一時代を築いた名FBである。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

 彼のラグビー人生を振り返るにあたり、原点のひとつは佐賀工業時代になるだろう。「花園」を夢見た少年は、福岡を離れて佐賀で鍛錬を積み、そして念願叶って憧れの地に足を踏み入れた。しかし、そこでの思い出は、苦いものだったという。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 五郎丸さんは福岡県福岡市の出身ですが、高校は地元の東福岡などではなく、佐賀工業に進学しました。1歳年上の兄・五郎丸亮さん(FL/No.8)が在籍していた影響ですか。

「そもそも中学時代の僕は、強豪のヒガシ(東福岡)に誘われることもなかったです。ただ、兄がすでに佐賀工業にいましたので、小城博監督(おぎ・ひろし/現・佐賀工総監督)に誘われたこともあって、そのまま進学することにしたんです」

── 佐賀では親元を離れて寮生活?

「当時暮らしていた場所は、寮というより、一軒家を借りてみんなで住んでいるような感じでした。ただ、全員がその家に入りきれなくなって、私と兄はふたりで別の家に住む形となりました。

 とにかく高校時代は、毎日の練習がキツすぎて......。家に戻って、寝て、学校に行って、部活をして、という繰り返しでした。朝練習はなかったですが、放課後は16時から20時くらいまでみっちり練習。家に帰ったら洗濯も自分たちでしていましたし。

 朝・昼・晩の食事も大変でした。朝食は自分で作らないといけなかったですし、昼はお弁当を購買で買ったりして、夜は家の近くの飲食店で食べていました。普通の高校生の生活は送っていなかったです。高校生らしい楽しい思い出は、ひとつもなかったですね(苦笑)」

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

【ラグビーW杯フォト】日本代表「ブライトンの奇跡」プレイバック(23点)

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