ラグビー元日本代表・田中史朗 家族の涙で「やってきたことは正しかった」引退がよぎったのはあの試合後
ラグビー元日本代表・田中史朗インタビュー<前編①>
小さな体、大きなハートで世界に果敢に挑み続け、日本のラグビーを新たなステージへと押し上げた偉大なスクラムハーフ、田中史朗(NECグリーンロケッツ東葛)。多くの子どもたちやファンから「フミ」の愛称で親しまれ、日本のラグビー史に名を残した名手が、プロとして17年目のシーズンを終えるとともにピッチを去った。
ラグビーW杯は3大会に出場。結果を出せず危機感を覚えたという2011年大会を経て、2013年には日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなるなど世界的プレーヤーに成長。2015年大会では3勝1敗という好成績に貢献すると、2019年の日本大会は日本代表を初の決勝トーナメント進出(ベスト8)へと導いた。常に日本ラグビーの進化の中心にいた9番だ。
現役を引退した現在の心境、ラストゲームでのファンや家族への思い、そしてこれまでのラグビーキャリアについて語ってもらった。
5月に長い現役生活を終えたばかりの田中史朗 Photo by Tanimoto Yuuriこの記事に関連する写真を見る
【家族に感謝】
──長い現役生活、大変お疲れ様でした。「選手」の肩書きが外れた今の心境はいかがですか?
実感はあまりないですね。昨日もトレーニングしたのですが(トップリーグデビューから)17年間やり続けてきましたので、トレーニングしないとまだ体がムズムズします。
──ラストゲームは5月18日、ホストスタジアムの柏の葉公園総合競技場(千葉県)でのリーグワン ディビジョン1・2の入替戦第1節、リコーブラックラムズ東京戦でした。後半35分から途中出場し、約5分間のラストプレーとなりました。
僕たちはディビジョン2のチームですが、それでも本当にたくさんの方に来ていただきました。そのみなさんの前でプレーできたことは本当にうれしかったですし、ホームでの試合はこれで最後ということで、全力でプレーさせていただきました。
今後もグリーンロケッツのアカデミーのコーチとして活動しながら、もっとチームの文化を作っていくことや選手同士のつながりを濃くしていくことなどの必要性を指摘していきたいと思っています。今も後輩たちとお酒を飲みながら「もっとこうしたほうがいいよ」という話はしています。
──試合終了後に引退セレモニーがあり、ご家族で小さなハドルを組んでみなさんで泣いていました。やはり万感の思いでしたか?
感謝の一言でした。それと同時に、自分がやってきたことを誇りに思いたかったですね。ずっとサポートしてきてくれた妻が泣いている姿はこれまでもよく見てきたのですが、娘と息子は人前で泣くような子たちではないんです。でも僕の引退セレモニーの場でふたりとも泣いてくれていました。子どもたちとはこれまで一緒にトレーニングしてきて、しんどいことも一緒にやり抜いてきました。その涙が僕に「ああ、自分がやってきたことは正しかったんだ」と教えてくれました。
──奥様も感極まっていました。
特にしんどかった2019年のラグビーW杯までの期間は「もうちょっとがんばろう」とずっと言ってくれていましたし、本当によく支えくれました。引退を決めた時は「お疲れ様」と言ってくれて、僕の気持ちをずっと理解してくれていました。
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著者プロフィール
齋藤龍太郎 (さいとう・りゅうたろう)
編集者、ライター、フォトグラファー。1976年、東京都生まれ。明治大学在学中にラグビーの魅力にとりつかれ、卒業後、入社した出版社でラグビーのムック、書籍を手がける。2015年に独立し、編集プロダクション「楕円銀河」を設立。世界各地でラグビーを取材し、さまざまなメディアに寄稿中。著書に『オールブラックス・プライド』(東邦出版)。