ラグビー土佐誠の不屈のラグビー人生。大学時代のチームメイトの不祥事、開頭手術からの復帰......それでも前を向く (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

開頭手術を決断

  土佐が次に大きな試練を経験したのは、大学を卒業し、NECグリーンロケッツに加入して4年目のことだった。外食をして社員寮に戻り、大浴場でシャワーを浴びていた時だ。突然、意識を失って倒れたのである。チームメイトの田村優がすぐに救急車を呼び、病院に搬送されて検査を受けた結果、「癲癇(てんかん)」と診断された。

「病院のドクターから病名を聞かされた時は、『えっ何?』って感じでした。僕は癲癇をいう疾患を知らなかったんです。しかも、癲癇を公表してプレーしているラグビー選手は誰もいなかった。当時はエディージャパンにも呼ばれたばかりだったので、いろんな意味で落ち込みましたが、ドクターと話をしていくなかで『癲癇を持ちながらプレーするのは日本初のケースになるかもしれない。手探りですが、プレーをする方向で治療をしていきましょう』ということになってちょっと安堵しました」

 発作がいつ起こり、いつ意識を失うのかはわからない。ドクターからの説明では疲れたり、激しい運動したあとに発作が出やすいと言われた。ラグビーは激しい運動とボディコンタクトがあるスポーツなのでリスクはあったが、薬を飲みながらプレーを続けた。だが、いろんな薬を服用しても発作は止まらなかった。ドクターからは脳をスキャンして腫瘍の場所を特定し、手術で切除できれば普通の生活に戻れる可能性があると言われた。

「手術は、悩みましたね。ラグビーは、そこまでしてやる価値のあるスポーツなのか、引退したほうがいいんじゃないかって、すごく考えました。でも、もし手術して復帰してプレーする姿を見せることができれば他の患者さんの不安も解消されるでしょうし、そうなれば自分がプレーする意味があるのかなって思ったんです。先生も『できるよ』と言ってくれたので、その言葉を信じて手術をすることに決めました」

 開頭手術を受け、リハビリを行ない、復帰するまで1年半もの時間を要した。

「最初は、コンタクトする怖さがありました。ぶつかったら脳みそが出てしまうんじゃないかってありえないことも考えてしまいました。そういう怖さを克服してラグビーに戻れたのは、自分の気持ちをひとつずつ整理していったのもありますが、NECグリーンロケッツが復帰まで頑張ろうと背中を押してくれたのが大きいですね。普通、頭を手術した選手がプレーする場合、企業はリスクを負えないので引退してくれという話になると思うんです。でも、僕を信じて待っていてくれた。支えてくれたチームメイトや企業のためにも復帰していいプレーを見せたいと思いました」

 ラグビーに復帰後、土佐は、「癲癇」を理解してもらうためのイベントに参加し、登壇して自らの体験を語るなどの活動を行なっている。

「まだ病気に対する理解が低いので多くの人にわかってほしいなというのがありますし、同じ病気の人に僕みたいな人間がいるよ。同じ境遇だよねと、感じてもらえればいいかなって思っています」

 ある時には、昨年までコンサドーレ札幌でプレーしていたジェイ・ボスロイドも参加した。自らも癲癇で薬を服用しながらプレーしていることを公表しているが、メッセージ動画で土佐自身も勇気づけられることがあったという。

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