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3人目のスーパーラグビープレイヤーへ。立川理道の挑戦 (2ページ目)

  • 向風見也●文 text by Mukai Fumiya
  • photo by Tsukida Jun/AFLO

 立川が世界に興味を持ったのは、2013年春の日本代表のツアー中だった。6月のウェールズ代表戦に向け、スーパーラグビーに参戦していた田中と堀江が合流。そこで、スクラムハーフとしてハイランダーズ(ニュージーランド)のレギュラーを争う田中はプレイ中のコミュニケーションの大切さを説き、レベルズ(オーストラリア)でスクラム最前列のフッカーを務める堀江はひとつひとつの接点で激しく格闘すべきだと言い続けた。いずれもスーパーラグビーでの実体験をもとにアドバイスするふたりに、立川は感銘を受けた。

 これまでもジャパンの中心選手として活躍してきたふたりだったが、その存在感の大きさは立川の想像をはるかに超えていた。彼らを変えたステージとは、一体どんなところなのか。今の自分が挑戦できる場所なのか。立川はそんな思いを彼らにぶつけると、「挑戦したいなら、早いうちに行くべき」と即答された。それならば......ジャパンのツアーが終わると、ジョーンズHCと所属チーム先であるクボタに相談を持ちかけた。幸い、ジョーンズHCがかつて指揮を執っていたブランビーズは、クボタと親密な関係にあった。夏場、あるトークイベントのゲストに招かれた立川は、こう口にしていた。

「行けるとしたら、ブランビーズですかね。クボタが提携していて、エディーさんとも深い関係にあるので......」
 
 成否については、ただただ祈るのみだった。インターネット上でブランビーズの人事問題に関するニュースが出るたび、自分の進退に関わるのではとやきもきすることもあった。しかし、本質的には「目の前の1試合、1対1の勝ち負けにこだわる」性分だ。いまの自分ができることは、与えられた場所で最高の働きを示すこと。そう考え、9月に開幕した国内のトップリーグに集中した。

 留学が決定的になったのは10月頃だった。しかし、下部リーグから3季ぶりに昇格したクボタにとって、トップリーグ残留は至上命題。チームの中心選手である立川を簡単に手放したくない事情もあった。立川自身も、チームに愛着を感じていた。そもそも大学時代に実力者として鳴らしていたのに当時下部リーグのクボタを選んだのは、1年先に入部していた兄・直道の存在も大きかったが、どこよりも早くスカウトしてくれたことに恩義に感じていたからだ。

「それ(チームの要望)を無視してまで行こうとは思わなかった。クボタの試合に集中することだけを考えていました。勝たないと、話は先に進まないので」

 リーグ戦の終盤になり、入れ替え戦を回避できたことで、正式に留学が決まった。

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