セパタクロー日本代表が強豪国の仲間入りを果たせたワケ 世界の頂点に立ち、「本当の戦いはこれから」 (3ページ目)
【来年のアジア大会へ、さらなる進化を】
寺島の目には熱いものが込み上げていた。
「(金メダルは)ひとつの目標でもあったので、結果を残したことはもちろん......。それがうれしかったのもあるんですけど、ここまでいろいろな人がつないできたものがそこに到達したという喜びですね。
自分が現役の頃もそうだけど、『いつか金メダルが獲れたらいいね』と言いつつ、あまり現実的じゃなかった。やるからにはそこを目指しますって言うけど、でも、そこに対してドライな自分もいた。そこにようやく辿り着いたことの気持ちが大きかったです」
36年の歴史のなかで、たくさんの人がつないだものが、金メダルという形で実を結んだ。「それですね。あの瞬間は」。そう言った寺島が頬を緩ませる。
「それが(目標とする)アジア大会であればなおさらよかったんでしょうけど、毎年行なわれる世界選手権でひとつの形として残るものに行き着いた。喜びというより、感動に近いかな」
春原は、所属するセパタクロークラブ「A.S.WAKABA」の代表を務める平瀬律哉からかけられた言葉を思い出していた。
「『春原たちには、より遠くに行ってほしい』って言われたことがあるんです。最初はパッとしなかったけど、それがなんとなくわかってきました。
たとえば、先達が20年かけて積み上げてきたことを、指導してもらう自分たちは5年でできるようになる。じゃあ、その後の5年とか10年で何をするかというと、自分たちで新しいこと、つまり未知の領域を切り開いていく。それが『遠くに行くこと』なのかなと。その少し先には、自分たちが20年かけて積み上げたことを、また次の世代に3年とか5年で伝えきる。その人たちが、また新しい日本のセパタクローで遠くに行ってくれたらいいなと思っています。
もちろん、負けて苦しい時代がくるかもしれません。だけど、セパタクローがどんどん進化していく、その一端を担うことが重要だと思うんです。先達が0から1で始めてくれたので、自分たちはそれをつなげる役目だと思っています」
選手時代から日本代表を支えてきた、日本セパタクロー協会の常務理事兼事務局長・矢野順也も、日本で配信を見て感慨はひとしおだったという。「泣きましたね。家でひとりで泣いてました。感動ですよね」。しみじみと言う。
「今回の世界選手権は、(タイ南部の)ハジャイという場所で行なわれたんです。自分が初めて出場した世界選手権はハジャイでした。確か、第8回大会。今回、第38回大会なので30年前です」
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