【高校野球】阪神ドラフト1位の立石正広を輩出 高川学園はいかにして強豪校へと上り詰めたのか
令和の強豪校・高川学園〜躍進の理由(前編)
山陽新幹線の停車駅のひとつであることから、山口県の陸の玄関口とも言われる新山口駅から山陽本線に乗り換え、進むこと約10分。橋上駅舎の大道(だいどう)駅に降り立つと、高川学園高校・中学校の校舎が眼下に広がる。
所在地は防府市大字台道。駅名の大道と読み方は同じだが、表記が異なる。その起源は古く、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、台が原という地に借屋を設け「台(うてな)の道」と書いたことから「台道」になったと言われる。駅名は1889年から1955年まで存在した吉敷郡大道村に由来するが、大字名はさらに古い村名である「台道」をそのまま使用。駅名と地名の表記が異なる状態が長く続いている。
先のドラフトで阪神が交渉権を獲得した創価大・立石正広も高川学園出身だ photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【指揮官が明かす躍進の理由】
高川学園の前身である多々良(たたら)学園が2004年、防府市からこの歴史ある土地に移転。2006年から現校名となった。勉学だけでなく部活動にも力を入れており、サッカー部やバレーボール部は全国でも強豪として知られている。
特に今年、好成績を残したのは野球部だ。夏の甲子園では4年ぶりに白星を挙げるなど、過去最高の3回戦進出。今秋に行なわれた国民スポーツ大会では決勝まで進み、山梨学院に1対3で敗れたが、堂々の準優勝を果たした。
2019年冬からチームを率いる松本祐一郎監督が躍進の理由を明かす。
「今年の成績は突然生まれたことではありません。2021年夏に出場した甲子園、またその前後も含めてOBの子たちがつくってきてくれたものだと思っています。この4年間、甲子園に手の届くところまできながらまったく勝てず、悔しい思いをさせてしまいましたが、彼らが必死に頑張って繋いでくれたからこそ勝負できる位置にいることができたし、今があるような気がしています」
前回2021年夏の甲子園1回戦の小松大谷(石川)戦では、今秋のドラフトで3球団競合の末、阪神が交渉権を得た右の強打者・立石正広(創価大)が本塁打を放つなど、5点差をひっくり返して同校初勝利を挙げた。今夏の主将である遠矢文太(とおや・ぶんた)捕手(3年)ら多くの選手は、立石らの活躍に憧れて入学した世代だ。
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

















































