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女子バドミントン大堀彩が27歳にしてつかんだ初五輪 2023年アジア大会から大舞台へ上昇曲線を描き始めたワケ (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

【後悔なく終えるために】

パリ五輪では悔いのないプレーを誓うパリ五輪では悔いのないプレーを誓うこの記事に関連する写真を見る

ーーその後も国別対抗ユーバー杯3位に貢献し、6月のオーストラリアオープンで優勝と、世界ランキングも自己最高の10位(五輪出場選手では8位)です。

「最後が中途半端な終わり方ではなかったので、ユーバー杯につながったし、そこで2試合、第1シングルを任されたことがその後の個人戦にもつながっている。すべてにおいて次につながるような取り組みをすることが大事だと思っていたので、本当によかったと思います」

ーーうまく気持ちを切らさずにいられることで、パリ五輪への思いもまた変わってきたのではないですか。

「自分の実力を考えても、アジア選手権が始まった時も、(代表に)決まってからもオリンピックに自分が出られるとは想像していなかったので、その後の1カ月ぐらいはずっと夢か現実かよくわからないような感じで実感がまったくなかったんです。

 でも、代表選手の記者発表のあとから『本当にオリンピックに出るんだ』という実感が湧いてきた時、出場する喜びが少しずつ薄くなり、緊張感のほうが強くなってきています」

ーーそれは結果を出したいという思いが強くなってきた緊張感なのでしょうか。

「そうだと思います。長年追いかけてきた舞台で、それは一瞬で終わってしまうと思うけど、その一瞬は本当に何十年後も思い出されるような瞬間だと思うので。そこを後悔なく終えるためには、自分自身を奮い立たせてやらなくてはいけない。もちろん可能性は自分にもあると思っているから、緊張も生まれてくるのだと思っているから、緊張も生まれてくるのだと思っています」

つづく

【Profile】大堀彩(おおほり・あや)/1996年10月2日生まれ、福島県出身。富岡第一中学校→富岡高(ともに福島)→NTT東日本→トナミ運輸。高校時代はインターハイ団体戦優勝ほか、個人では2012年から3年連続世界ジュニア選手権に出場し、3位、準優勝、3位の成績を収める。シニアの世界選手権6回出場を始め、国際大会で活躍するも、オリンピック出場には届かなかったが、パリ五輪シングルス代表に内定した。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

バドミントン・大堀彩 オフコート&オンコート 写真ギャラリー

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