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日本卓球を導いた福原愛と水谷隼。
21000時間の練習を支えるもの (2ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru
  • photo by AFLO

 日本でも、1980年代後半から14歳以下の全国大会が4つの年齢カテゴリーに細分化されていたが、村上の想いが形になり始めたは、2001年の世界選手権大阪大会の後である。

 男子監督に村上の盟友である宮崎義仁氏が就任したのを機に、男子の小学生の代表チームを選抜し、合宿を開催したのだ。後に女子も同様の合宿を開き、指導者に対してもブロックごとの研修会を開いたことで、全国の隅々まで最新の情報がいき渡るようになった。

 今回の世界選手権で女子シングルス銅メダルに輝いた平野美宇(JOCエリートアカデミー)と、同学年で早田ひな(希望ヶ丘高)とのペアで女子ダブルス銅メダルを獲得した伊藤美誠(スターツSC)は、小学4年生の時のジュニア合宿で「2020年の五輪で金メダル」という目標を明確に掲げている。

「日本のスポーツはずっと学校教育の枠の中にあり、全中やインターハイで頂点に立つことがその年代の選手にとって最大の目標でした」と、村上は振り返る。

「でも、そうした短期的な視野でプレーしていては、世界の頂点には立てない。10代のうちからプロの指導を受ける環境を整えると、指導する側も技術やフィジカルなど多くの分野でメソッドを築いていった。さらに、2008年にナショナルトレーニングセンターができたのも大きかった。それまでの代表チームの合宿は、会場や宿泊先、輸送手段、現地スタッフの確保などに時間をとられ、容易に選手を招集できませんでしたから」

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