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日本卓球を導いた福原愛と水谷隼。
21000時間の練習を支えるもの (3ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru
  • photo by AFLO

 協会主導のプロジェクトが実を結んでいく過程で、男女とも先駆者となったアスリートがいたことを忘れてはいけない。

 男子の水谷隼と、女子の福原愛である。

 14歳でドイツに渡り、ブンデスリーガで腕を磨いた水谷が初めて世界選手権に出場した2006年のブレーメン大会(団体戦)で、日本の男子代表は過去最低の14位に沈んだ。水谷は、「世界で上にいくという発想自体がまだ僕たちになかった。ワールドツアーの予選を突破しただけで大喜びしていましたから」と、当時の心境を語る。

 その後、2008年の広州大会で団体戦銅メダルを獲得し、日本が強豪国としての地位を取り戻せたのは、水谷や同時期にドイツで腕を磨いた岸川聖也の研鑽(けんさん)があったからである。

「僕や岸川さんがドイツで学んだものを、母校である青森山田、仙台育英などに持ち込んだ。直接言葉にして伝えたのではなく、僕たちの練習やプレーを見て、周囲の選手がいろんなことを感じてくれたはず」と、水谷は言う。

 一方、最年少記録を次々に打ち立てた国民的ヒロインの功績は、卓球という競技が幼少期から打ち込むべき価値があることを、自らの成長とともに社会に示したことである。平野の母、真理子さんはこんな話をしてくれたことがある。

「学校に毎日通って、先生や同級生たちと触れ合うことの大切さは理解しています。でも、海外遠征や合宿で登校できる日が少なくても、卓球を通じてしか体験できないことを人間的な成長につなげられるはず。福原さんの姿を見ていて、そう思えるようになりました」

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